劇場版 少女歌劇☆レヴュースタァライト ~その終わりと私~
西暦2021年6月4日金曜日、緊急事態宣言により延期されていた劇場版 少女歌劇☆レヴュースタァライトが遂に公開!
緊急事態宣言延長により、また延期になるんじゃないかとやきもきしていたが延期はなく、大阪の映画館も6月より平日のみ営業再開。これには一安心。
しかしチケットの事前予約は制限され、当日の0時より予約解禁となる。
もちろん夜のうちに予約するつもりだったが、平日公開だし流石にすぐ売り切れるということはないだろうと…………
完全にナメていました。
一応0時直前にアラームをかけて忘れないように予約サイトにログインして、まだ余裕のある席をじっくり選んで購入!
しようとしたらエラー表示が……。
ん?なんだ?
なんだよ。遂に公開と意気込んで予約しようとしてんだからスッといってくれよ!
多少イライラしながら、再読み込みをかけると、、、
さっきまで2割くらいしか埋まってなかった席がもう5割ほど埋まってる!
そう、エラーが出たのは同じタイミングで席をチョイスした人が先に購入してしまったから。
や…………
ヤヴァイ!!!!!
システム、侵食されています!!
僕は焦りながら別の席をチョイスし直してすぐに購入ボタンを…………
エラー。
二度目のエラー!恐る恐る再読み込みをすると、、、もう8割くらい埋まってる!!
ヤヴァイヤヴァイヤヴァイヤヴァイ!!!
システム、あと数秒で乗っ取られます!!!
必死で席をクリックし、購入ボタンをオン!!!
購入、完了。
映画観る前に、力尽きました……。
そんな必死な戦いを前夜に経つつ6月4日、映画館へ。
事前情報として今回は「卒業」がテーマということで、遂にスタァライトが終わってしまうのかと。そう言われても、何となく信じられなかった。
まだまだ僕はスタァライトされていたいし、そもそもTVアニメが終わった時にこれは続きを作るのは無理だろう、と思っていたのに劇場版が作られその先が見られる事になった。それじゃあ新作劇場版ののちにTVアニメ2期、なんて事もあるんじゃないかと妄想していた。
それが「卒業」というワードで消え去った。まあそれでも美しく終わってくれるならいいか、と頑張って自分を納得させ席に着く。
それにしても僕は同じ年にエヴァとスタァライトという大好きなアニメから卒業しなくてはならないのか、と何とも言えない気持ちになる。
複雑な感情の中、スクリーンに映し出されるキネマシトラスのロゴ。
遂に、始まる……。
ーーーーーはい。観終わりました。
ストーリーを順に追っても仕方ないので思い付いた順に語ります。
まず!この映画のMVP。決定しました。それは……
花柳香子さんです!
まさかの。香子さんです。
もちろん香子も好きなキャラクターではありますが、そこまで注目していた訳ではありませんでした。
それがですよ。
皆が進路について色々考えている中、葛藤する女、”しょうもない”女、花柳香子。
ご存知でしたか?関西人の口癖第1位「しょうもない」。え?ほんとに1位かって?関西人の僕が事実しょっちゅう使ってる言葉なんですから1位に違いありません。
とにかく、香子のイントネーション完璧な「しょうもな」にはモラトリアムの期間に感じる全てが詰まっていてそれだけで胸が苦しくなりました。ええぞ!伊藤彩沙!
そして双葉、香子のレヴュー。
このレヴューは、最高だった。
香子の全てがここに出てた。
彼女が「しょうもな」と言っていたのは、過去のレヴューで結局トップスタァになれなかった事で味わった敗北感や挫折感、そしてそれを受け入れてしまっている周りへの苛立ちから。
と言うような発言はあったが、いや、もちろんそれもあるのだが、結局は自分への相談もなしに違う道に進むことを一人で決めてしまった双葉への煮え切らない想い。これに尽きる。
そしてレヴューではそれが爆発する。色んな表情、仕草、声で双葉を責める香子があまりに魅力的で気を失うかと思いました。演技に関しても伊藤彩沙の全てがあのレヴューに詰まっていたと思う。
”まだ”1回しかこの映画を観てはいないが、一番見返したいと思っているのはこのレヴューだ。最高!よっ香子!
次は推しの大場ななさんについて。まさか推しより先に花柳香子さんの事を語りたくなってしまうとは思ってもいなかったですが、彼女についても語りたいことはいっぱい。
その前にまず、この映画ですが……
ストーリー、ないよね?
ストーリーをまとめると、9人は卒業を前に友人に対してもやもやしていた気持ちをレヴューで吐き出して成仏しました。そしたら自分の進路、未来に迷うことなく進んでいけるようになりました。卒業!
って感じ?
いやディスりたい訳じゃないんだよ。実際こういう事を書いたらマイナスに捉えられそうで書きたくないなと思ってたんですが、映画のパンフレットを読んで安心しました。
樋口さん(脚本)「よく監督が仰っているんですけど、レヴュースタァライトって実は物語がないんですよ」
ほら!スタッフさん、いや監督が言ってるじゃん!いや、この後には「キャラクターの感情で物語が進む」とも仰ってますので何一つ物語がないという訳ではもちろんないんですよ?
これはTVアニメの頃からそうだったと思うんですが、劇場版という2時間の尺にすると余計にそれが顕著になるという話で。
しかもよく考えると、今回の映画ってやっていること、ストーリー自体はTVアニメの焼き直しでしかなくない?と思う。
9人がレヴューに巻き込まれ、それにより成長するという。新作劇場版でありながらロンド。ロンド・ロンド・ロンド・ロンド。ではないか。
いや!ディスってません!怒らないで!
これは僕が実際感じたことなので一見悪く言っているように見えても書かねばならんのだ。
そうだ。アンチ扱いされる前にこの新作劇場版の評価を言っておきましょう。
それは、
1億点です!!!!
小学生みたいな点の付け方で逆に嘘っぽいけど、マジよマジ。
TVアニメの時からずっと思ってたけど、何故こんなにおもしろい作品がもっと多くの人に見つからないのか不思議で仕方ない。この気持ちは今回の映画で更に大きくなって、なんなら観てる最中もずっと思ってた。
何故、このとてつもない作品が、もっとメジャーにならないのか、と。
いや、さっきストーリーがないとかディスってたくせにどういうことだよ、とツッコみたいあなた。違う。違います。
むしろシン・エヴァのときにも抱えてた想いが今回で固まった。
映画に、ストーリーなんぞ、いらんのですよ。
すいません、ちょっと極端に言いました!
でもね、シン・エヴァを観る前のブログで僕は謎の解明に興味などない、と書きました。
それはストーリーに対して興味がないということなんです。
もちろんストーリーこそが重要な作品もありますが、映画というジャンル自体が結構そいうもんなんじゃないかと。
そもそも「映」「画」ですよ?映す、画、ですよ?
僕は映画というのは映像体験だと思ってます。最近そう思うようになりました。
僕がマトリックスが大好きなのも、クリストファー・ノーラン監督が大好きなのも、今まではSFなストーリーが最高!と思ったんですがそれだけじゃなかった。
どちらも僕に最高の映像体験をさせてくれたんですよ。
エヴァの新劇場版を観てるときもどんな「画」、ビジュアルイメージを見せてくれるのかというワクワクが大きかった。
そしてスタァライトもそうだったし、そういう意味でこの劇場版はとてつもない映像体験をさせてくれた。
いまだかつて観たことのない「画」をいっぱい観せられ、「こんな映像、どうやったら思いつくの!?」と思った。
それは、「こんなストーリー、どうやったら思いつくの!?」という感情よりも一段高いところにあるもので、だからやっぱり、映画に重要なのは画作りなんだと。
Youtubeで公開されている冒頭映像にも映っている、横たわる東京タワーの上にいる華恋からカメラがグッと引いて対峙するひかりとの全体像が映し出されるシーン。
あの画を観ただけで、あ、この映画、もう勝ち確定……かちかくだよ!!
と思いました。
実際劇中の映像はどれも胸に刺さる刺激的なものばかり。
電車の吊り革に衣装がぶら下がってるのとかは幾原監督っぽくも見えましたが、どのレヴューも今まで観たことのない映像体験ばかりでした。
「レヴュースタァライト」という世界そのものが、古川監督の映像表現を具現化する舞台装置なんですよ。そりゃあストーリーがないのなんて当たり前です。
だから、この映画は、
凄い映像を観た!!
というだけで1億点なんですよ。終わり!!
……いや、大場ななの話するつもりが終わっちゃったよ。結論はほんとそうなんです。
これはほんとエヴァと似た感覚。
話が大場、いやだいぶそれましたが、1800文字ぶりに大場さんのことを。
今回の大場さんはだいぶこじらせてましたね。いや、今回”も”というべきなのか。
冒頭からのななの不穏な感じというのは前回、ロンド・ロンド・ロンドのエンディングを観た人には全員分かっていることではありますが、分かっているからこそのドキドキ感がたまりませんでした。
ただ。
今回の映画で一番割りを食ったのが彼女なんじゃないかと、僕は思います。
前回ラストのフリからすると、また彼女を中心とした話になるんじゃないか、と思っていました。
でもこの映画で本当に終わりだとするならばそうは言ってられない。
結局「華恋とひかり」の話に収束していくしかないハズなのに、またななをフィーチャーする内容にして終われるのか?と。
観てみると、やっぱり「華恋とひかり」の話にベクトルは向いていた(かなり早い段階で) ので、ななが「進行役」を背負わされたようにしか見えなかったんですよね。
そりゃあ、あの電車の上での戦いは最高すぎて言葉で言い表せないくらいでしたし、純那ちゃんの首から血(ではありませんでしたが)が吹き出たときは、コロナで座席がひとつ空いているのを良いことに「マ・ジ・で・!?」と結構大きめな声を出してしまったくらいです。
「うろたえるな!!!」
って真矢様、無理です(笑)。うろたえるでしょ!あそこでうろたえない真矢様ヤバすぎですよ。
いやそれにしても皆殺しのレヴューって……ひぐらしを見に来たのか?って思っちゃいましたよ。
まぁここは映画のベストシーンになるんじゃないかってくらいだし、こういう場面を用意されている事自体がスタッフ陣の大場ななへの愛を感じます。
しかしここは結局導入部、ここからそれぞれのレヴューになだれ込んでいくので、このシーンの意味合いはストーリー上あまり関係ないんですよね。
そう考えるとロロロのエンディングには少し騙されたような気がしてしまいました。
なんだろう、僕が大場なな推しで彼女へ向ける熱が強いからでしょうか?
劇場版で彼女が舞台装置のように扱われていることに少しだけ傷ついたんです。あら、なんてピュアなんでしょう僕ってば!
とはいえ、純那ちゃんとのレヴューシーンだけは違うよ。彼女たちは舞台装置じゃない。
あそこは、ほんとなんとも言えない気持ちになりました。
双葉、香子のレヴューでは「ええぞ香子!いぇい!最高だぞ香子!もっとやれ!」みたいに、単純にめちゃめちゃ興奮しながら観てたんですがね……。
ななの純那へ向ける気持ちっていうのは、割り切った大人の目線で言えば、
他人を自分の思い通りにしようとしてんじゃねえ。
なんですよ。純那が自分の理想と違ってしまったからって、どうこうできる権利なんてないんですよ。結局は他人なんだから。
すごーく突き放してしまいましたが、ほんとそう思います。
でも!
僕は泣くんですよ。この二人のやり取りを観て。涙が溢れる。
それはもう自分が大人で、どんなに理不尽に見えても誰かにここまでの本音をぶつけて深く関わるということがもう出来ないから。
生きている以上誰かとか関わっている。けどどれだけ仲良くてもそこには気遣いという名の忖度が働きます。相手を傷つけないように、自分を傷つけないように。
でも彼女たちは若く不器用でそれが出来ない。
だからこうやってぶつかるしかない。それ自体はこの映画のレヴューシーン全てがそうですが……。
不器用ながら全力で、自分にはもう出来ない、出来なくなってしまった事をやっている彼女たちに胸を抉られる。
そう、僕がどうしようもなく泣いてしまうのは、
それが、眩しい。から。
よく、「年取ると涙もろくなる」と言いますよね。まあ僕は子供の頃から涙もろかったですが、これはきっと、眩しいものが増えるからなんじゃないかと思ってます。
自分がもう出来なくなってしまったことを沢山認識して、それが出来る人が眩しいんですよ。そして人は眩しい光を浴びると、泣くしかなくなる。
「涙で救えるのは、自分だけだから」
これはシン・エヴァでの碇シンジの台詞ですが、ほんとこれです。
眩しい光を浴びて切なく苦しい自分を涙で救ってるんです。
大場ななの純粋でとても痛々しい想い。それをまっすぐ受け止めて撃ち返した星見純那。
二人が眩しすぎて、僕は泣くしかなかった。
そして彼女たちも別の道へ行く。彼女たちだっていつか必ずこんなぶつかり合いが出来なくなる日が来る。だから、だから今が、眩しい。
うーん、いかんな。純那とななは特に。
喋りたすぎてちょっと自己陶酔の域に入ってきちゃったのでこれくらいにしときます。
露崎まひるさん!
まひるの「大嫌いだった」というひかりへの台詞には鳥肌がたって、「よく言った!」とテンションあがりました。
役として言ったみたいな表現もされてましたが、やっぱりこの感情は確実にあると思います(TVアニメ5話参照)。
これを言うことでまひるも思い残すことなく進めるし、なんだかんだ結局ひかりを華恋のところへ案内する役になっているところが、少し不憫でもありました(笑)。
真矢クロに関しては、常に最強のポジションにいた真矢様よりも常に敗北感を味わいながらそれでも最強を超える事を目指し続けた彼女が結局一番強かったんじゃないかと。
てかクロちゃんって大人だよな、と今回凄く思いました。
そして肝心の華恋ですが、彼女の過去を色々観てまず思ったこと。
TVアニメ冒頭のキャラと違くね?
でした。TVアニメラストの華恋をイメージして観てるとオッケーなんですよ。
けど1話の華恋って、一人じゃ起きられなくて1年のスタァライトで主役取れなくても特に必死で頑張ってた訳じゃない、って感じだったと思うけど。
今回の回想シーン、華恋、めちゃめちゃ頑張ってるやん。こんなにずっと頑張ってて高校でこんなに一気にだらける?(笑)
と少し思ってしまいました。ひかりちゃんが覚えてくれているかという不安が限界にきて高校で糸が切れてしまったのでしょうか。
まあそんなことより中学生の華恋が男女3✕3でファーストフード店にいた事の衝撃でそこはどうでもよくなってしまいましたが。
こんなことで動揺、というか最早「こんなのネトラレだよ!」くらい思ってしまった僕のメンタルは貧弱すぎましたゴメンナサイ。
僕らオタクは最近ぬるま湯に浸かりすぎて防御力が完全になくなっていました。皆で反省しましょう。
とにかく現在の華恋は”ひかり”という存在一点のみで頑張ってこれた訳で、子供の頃の華恋が自分は特に好きでもないゲームを友だちとの繋がりの為に大事にしていた事からも分かるように、ひかりという存在がいなくなった時、自分が本当にやりたいことが見えなくなった。舞台に立つ意味を見いだせなくなった、と。
その空洞にもう一度ひかりを宿すための、華恋とひかりのレヴューだった。
TVアニメのラストで華恋はひかりを救った。なので今度はその逆をやると。
TVアニメでは彼女本人のアイデンティティに焦点があまり当たらず、ある意味ギャルゲーの主人公のような記号的な役割になってしまっていた華恋をきちんと人間にしようとしたラストだった。
ラスト辺りの華恋の台詞はもちろんそうだが、この映画は全体的に古川監督そのものなんじゃないか、という台詞がダダ漏れになっているように見えて、映像表現と合わせてかなり作家性の強い作品になっているなと思いました。
101回聖翔祭スタァライトの脚本を書いてた女の子が書くことが怖いと言うところなんてクリエイター全員が思ってることだと思う。
そもそも一連のこのシーンはなくても成立するのにわざわざ、それもしっかりと作られている。
そこで出てくるこの「創作が怖い」というのはどう聞いてもメタ発言にしか思えない。
僕自身の小さな話で恐縮だが、がっつりバンド活動をしていたときはメインで作詞作曲をしていたので、作った曲を初めてバンドメンバーに聞かせるときは怖かったし、ライブで初めてお客さんに披露するときも怖かった。
それこそ、
「しょうもな」
と言われないか。不安だった。それは自分自身を否定されるようなものだから。
だからこういう台詞の節々から監督の顔が見え隠れする。
特に華恋の最後の「レヴュースタァライトをやりきった」という台詞には息を呑んだ。
いやいや、全部さらけ出しすぎぃぃぃぃぃ!!!
ここまで言われたらもう続編がどうの、と何一つ言えなくなってしまった(笑)。
庵野秀明はエヴァでこれを言うのに何年かかったと思ってるんだ!!
いやでももう清々しかったですね。
作家の全ては一作目に詰まっているとはよく言いますが、古川監督もこの少女歌劇☆レヴュースタァライトが初監督作品。
本当に全てを詰め込んだんじゃないかなと、それを痛いほど体感させられた2時間でした。
次に古川監督がどんな作品を作られるのか分かりませんが、次以降追っかけなくてはならないな、と思わせる初監督作品に、確実になっただろうと思います。
エンドロールですが、レヴュー曲の制作陣をテロップで確認したかったのですが、めばちさんが描いた「舞台少女たちのその後」から目を離せず全く観られませんでした。これは何回か行って目を高速で動かして観るしかないな……。
ひかりちゃんが九九組それぞれのところを巡るという構成になってましたが、肝心の華恋が「オーディションで会えない!」というところにまた凄く感動させられました。
もう彼女はひかりがいなくても舞台に立てるんだ、と。
そしてその華恋がオーディション会場で名前を呼ばれるところでこの映画は終わります。
このシーンですが、これまた凄くメタ的だなと。
そもそも九九組のキャストがオーディションで集まっている訳で。これはTVアニメの時から思っていましたが、オーディション(レヴュー)→トップスタァというのはキャストが日々味わっている現実と何ら変わらないんですよね。
このスタァライトという作品はキャストからするとメタ的な事が多すぎて、なんならやってて辛い部分もあったりするんじゃないか、とすら思ってました。
なので映画ラストがオーディションシーンというのは愛城華恋=小山百代そのままの構図になっているじゃないかと。
なにこれ、エモい……。
と思ってたらTwitterで流れてきた情報でラストシーンは実際にスタァライトのオーディションがあった現場と一緒で、華恋が着てた服も当時小山百代さんが着てた服と一緒だと。
なにそれ、エモい……。
なんにせよ予想、というか感じたことが当たってて少し嬉しくなりました。
……ふぅ。流石に疲れました。まだまだ語りたい部分はあると思うのですが、1回しか観てない状態だとこんくらいが記憶と指の限界です(パソコンの前にもう何時間座っているか分からない)。
また何かあれば追記しようと思います。
とにかく、こんな素晴らしい"体験"を出来て本当に幸せでした。
ありがとう。少女☆歌劇レヴュースタァライト。