ベーシストのアニメ語り 〜時々音楽〜

ベーシストが音楽よりも優先してアニメ、映画などオタクコンテンツを語るブログです。

『ウマ娘』はタランティーノ映画!

 

ウマ娘』。

 

 

知ってますか?

 

 

今おそろしく流行ってるコンテンツです。アプリゲームを中心としたメディアミックス作品ですが、2021年2月のアプリリリースにより爆発的に人気が出ました。

内容としては実在の競走馬を美少女に擬人化したキャラクターを育成してレースで勝たせるという中々クレイジーな作品です。

 

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こんな感じですね。うん、可愛いです。

 

こういう美少女擬人化ってどれが始まりなんだろう?まぁ探したらとんでもなく昔からあるんでしょうが、記憶を辿ってみるとOSたんと呼ばれるWindowsのOSを擬人化したキャラが2000年代初頭に出てきて、その辺りからフィーチャーされるようになってきたような感覚があります。

 

その後、国を擬人化したヘタリア(これは男の子化)」、戦艦を擬人化した「艦これ」、宝石を擬人化した宝石の国など言い出したらキリがありませんが、最早擬人化というのは一大ジャンルになっている訳です。

 

そんななか彗星のごとく現れた「ウマ娘」ですが、アプリリリース以前から企画はスタートしていて漫画、アニメ、キャストライブなどはしてましたね。

僕は特にアニメ、声優系の情報に敏感なのでなんとなくチェックはしていて、アニメ1期の1話もリアルタイムで観てました。

が、そもそも競馬について全く知らないということもあり、なんとなく乗れなくて(競馬だけに)アニメは1話切りをしてしまってました。

 

ところが今回の超ヒットにより周りからアプリをススメられる事が多く、やってみるとあれよあれよと大ハマリ。

アプリである程度情報を仕入れてからアニメを一気観したのであった。ちょうど2期が終わったタイミングというのも良かった。ありがとうアマゾンプライム

 

で、アニメを観て感じたことを今回は語ろうと思う。

 

最初に言ってしまうとウマ娘のTVアニメは1期、2期共々めちゃくちゃ良かった。面白かった。そして一番思ったことは、

 

ウマ娘タランティーノ映画だ!

 

ということだ。

 やっとタイトルに追いついたが、僕はウマ娘タランティーノの新作として楽しんだのである。

 

アニメ版ウマ娘は1期と2期で主人公、フィーチャーされるキャラクターが違う。

 

1期→スペシャルウィークサイレンススズカエルコンドルパサーなど)

2期→トウカイテイオーメジロマックイーンライスシャワーなど)

 

という感じ。実在する(した)競走馬を擬人化しているため、基本的にキャラクターの設定やレース結果は現実と同じになる。

例えば1期主人公のスペシャルウィークは産まれると同時に母親が死に、産みの母と育ての母の二人がいるという設定だが、これは元になった競走馬スペシャルウィークそのままの話だ。

他にレース内容などもwikiで調べるとアニメを観るまでもなく「あー、デビュー戦は勝つのね」と、結果がわかってしまう。だが逆にそれが面白く、現実に起きたことがどういう風に再現されているのかという興味につながった。

 

特に僕は競馬知識ゼロ人間なので、気になったウマ娘の元になった競走馬を調べるということが楽しくて、どんどん知識が増えていっている最中だ。

ウマ娘は競馬を知っている人は凄く楽しめるし、知らない人には新しく競馬知識を仕入れる楽しみがある。

 

そして、知識を仕入れると、衝撃的な事実を知ってしまったりもする。

 

1期のメインキャラクター、サイレンススズカスペシャルウィーク憧れの存在として登場するが、競走馬サイレンススズカを少し調べるだけで出てくる……

 

1998年、秋の天皇賞のレース中に骨折し、安楽死になってしまう、

 

という現実が。Youtubeでも動画が簡単に見つかる。

 

ただでさえ悲しい出来事なのに擬人化され感情移入した状態でその事実を知ってしまうと凄く感情を揺さぶられる。

 

そして、アニメ1期7話でスズカが天皇賞に出ることになる。

それだけで史実を知っている人間はとてつもなくドキドキするのだ。

 

えっ、だって天皇賞に出走したらスズカは……。

 

エヴァ破でアスカが参号機に乗ることになったのを観た時の気持ちに似てる

どうなるのかハラハラしながら観ていると、やはりスズカは故障をきたし骨折してしまう。

だが、ここからが違った。骨折した彼女は死ぬことはなく、リハビリを終え無事復帰することになり、海外遠征まで行うことになる。

これはアニメファンだけでなく、競走馬サイレンススズカのファンをも救うことになったのでは、と思う。

 

「事実は小説よりも奇なり」というように、フィクションはノンフィクションに勝てないという意見もあるだろうが、アニメ、映画、漫画などフィクション作品が大好きな僕としては、フィクションが持つ可能性を信じている。

現実で起きたことをフィクションによって救うことは出来るのだ。きっと。

 

それを感じたウマ娘、1期7話だった。

 

そしてこれと同じことを以前からやっている男がいる。それが、

 

クエンティン・タランティーノ

 

だ。アメリカの映画監督で、パルプ・フィクションキル・ビル辺りが一番有名だろうか。

僕はタランティーノが結構好きなので殆どの作品を観ているが、最近タランティーノは「映画にノンフィクションを混ぜながらも、その事実を改竄しハッピーエンドに変更する」という作品を作っている。

 

例えばこれ、

 

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 イングロリアス・バスターズ

 

大雑把に言うと舞台は第二次大戦中ドイツに占領されたフランスで、ナチスに家族を殺された女の子(ショシャナ)が成長してヒトラーに復讐しようとするという話だ。

 

ショシャナは自分がユダヤ人だということを隠し映画館を経営し、ドイツのプロパガンダ映画を上映することでその上映会にヒトラーを含めたナチス幹部を呼ぶことに成功する。そして映画館を爆破して復讐を果たすという計画を立てるのだが、観客は知っている……

 

ヒトラーはそんな死に方はしない、ということを。

 

そう、この計画は成功しないのである。

僕も映画を観ながら、ヒトラーという誰でも知っている人物が登場することにより、この計画が成功しないであろうことを理解した。つもりだった。

 

しかし予想を華麗に裏切り、映画館は爆破されヒトラーは死に、ショシャナの復讐は果たされる。

それを観た時に僕は初めて、史実を扱うからといって現実と同じ結末にしなければならない、なんてルールはない!ということを知った気がした。

あくまでも僕たちが観ているのはフィクションで、その中にくらい希望や幸せがあってもいいじゃないか、と。

 

まあ爆死させられるヒトラー個人に関しては少しだけ気の毒に思わないでもないが(笑)。

 

このタランティーノ手法が最高峰に達したのがこれ。

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ブラット・ピットとレオナルド・ディカプリオのW主演で話題になった、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」だ。

 

この映画は1960年代後半、ディカプリオ演じるかつてTVスターだったが今は落ちぶれてしまった俳優「リック」と、ブラピ演じるリックの親友で専属スタントマンの「クリフ」の話。

二人の周りでは色んな事が起こるのだが、ストーリーのメインになる話が何なのか分かりづらく、「何をしたかったのかよくわからない映画」という感想の人も多い印象だ。

 

確かにその通り。この映画は一つの歴史的事件を知っているかどうかで面白さが全く違う。

 

映画でディカプリオはハリウッドの豪邸に住んでいるのだが、その隣に引っ越してくるのが、ロマン・ポランスキーシャロン・テート夫妻だ。

 

この夫妻は実在した人物で、ロマン・ポランスキーは当時売れっ子だった映画監督、シャロン・テートは売出し中の若手女優。

そして史実では1969年ロマン・ポランスキー不在の中、自宅で友人と一緒にいたシャロン・テートが、押し入ってきた狂信的なカルト信者たちによって惨殺される、という事件が起きている。詳しくはこちら↓

 

この事件は当時のアメリカに衝撃を与えた。それを知っている人がこの映画を観ればシャロン・テートが登場した瞬間にその先を想像するはずだ。

その辺りについて詳しい説明がないので、この映画は事件を知らない人にとってはよくわからない作品に感じるのだろうと思う。

 

そして肝心な内容だが、シャロン・テートが殺害されるまさにその日、自宅に侵入しようと近くをウロウロしていた犯人たちをリック(ディカプリオ)が「うるさい」と注意した事で、犯人たちのターゲットがシャロン・テートからリックに移るのである。

シャロン・テート宅ではなく隣のリック宅に侵入した犯人たちだったが、中に居たクリフ(ブラピ)は戦争帰りの手練れで、返り討ちにされ(観ているこっちが痛くなるほどのボッコボコだった)、残ったひとりなんてリックが過去の出演作で使った火炎放射器で黒焦げにされてしまう。

 

なんというカタルシス!(笑)

 

そしてラストシーン。

 

警察が駆けつけ騒然とするリック宅。外にいたリックにインターフォン越しにシャロンが話しかける。気を利かせシャロンがリックを家に招くところで映画は終わります。

 

そう、この映画の中ではシャロン・テートは殺される事なく幸せに生き続ける事ができたのだ。

 

所詮映画、されど映画。所詮フィクション、されどフィクション。

フィクションによってノンフィクションを捻じ曲げることのカタルシスを初めてしっかり認識させてくれた作品、それが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」だった。

 

 

前置きが長くなったが、死ぬことなく走り続けるサイレンススズカを見たとき、この映画を観た時と全く同じ気持ちになったのである。

だからウマ娘は僕にとって新作タランティーノ映画、なのだ。

 

もしあの時ああであれば。こうであれば。

そんな夢を見させてくれるものがフィクションには詰まっている。

 

ウマ娘、アニメ2期においてもトウカイテイオーの度重なる骨折からの復活、メジロマックイーンの左脚部繋靱帯炎からの復活(こちらは可能性という希望を残している)を描き、スクリーンの中の彼女たちは走り続ける。

 

堅苦しく書いているが1期スズカのシーンや、2期の後半はずっと泣きながら見ていたくらいで、競馬経験ゼロでも大いに乗れたし(ウマだけに!)、単純に凄く面白い作品だった(特に2期は)。

 

個人的にはライスシャワー推しなので2期7話8話はほんと最高だったのだが、今回アニメで再現されることのなかった95年宝塚記念の悪夢をいつかタランティーノばりに吹き飛ばしてくれる事を、心より期待する。

 

 

日向マコトという男

2021年3月15日。昨日シン・エヴァを初見で観に行き、そして今日、早速2回目を観てきました。

 

なので昨日書きそこねた感想を追記しようと思ったんですが、真面目に語るよりちょっとネタ的な感想?を本気で書こうと思います。

 

 

皆さんは知っているだろうか?

 

日向マコトという男を。

 

知らない方のために説明すると、彼がそうです。

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◎オペレーター

◎メガネ

◎オールバック

 

絵に描いたような真面目青年です。

そして上記以外の彼の大きな特徴、それは、

 

 

葛城ミサトのことが好き

 

 

 

だ。ラブ、葛城ミサト、なのだ。

しかしこれはTVアニメ~旧劇までの設定で、新劇では全く出てきません(もしかしたら間違ってるかも)。

新劇場版ではアスカ→加持、リツコ→ゲンドウ、などシンジを絡まない恋愛要素は全て省かれている。その設定変更に伴い日向→ミサトも全然出てこないのだ。

 

新劇ではQ以降伊吹マヤのキャラが立ちすぎてしまって日向くんの存在感は旧エヴァに比べて薄くなっているが、オペレーターズのスター選手はやはり、日向マコト

 

そこでTV版の彼の純愛を追いつつ、彼を愛でていこう。

 

 

ネルフオペレーターの彼は上司のミサトが好きだ。だが好意は内に秘めている。

 

そうこうしているうちに8話で急にミサトの元カレ、加持リョウジが現れた。しかも当のミサトは満更でもない様子。彼のメンタルはグチャグチャになっただろう(勝手な予想)。

そんな状態でマギを操作し、オペレーターをやってのけているんだからほんとスゲエぜマコト(もうここからは名前で呼びます)。

 そして始まるマコト、報われない恋の歴史。

 

 

11話でミサトはクリーニングに出してた衣類をマコトに取りに行かせる始末。

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「ほんとズボラな人だなぁ」とか言ってますが頼られて内心ニヤニヤしてるのはお見通しです。なんなら服をクンカクンカしてる疑惑すらもっています。

マコトはきっとむっつりに違いありません(断言)。

 

しかもマコトが雑用をこなしている間にネルフ本部は停電し、ミサトはエレベーターに閉じ込められます。元カレの加持と一緒に(涙)。

 

 

マコト、不憫。

 

 

続いて20話。19話で暴走した初号機をなんとか停止させケイジに収容。

その前で会話するマコトとミサト。

いつまた急に動き出すかわからない初号機を前に、二人っきりということもあり、テンション上がっちゃったんでしょうか、場を和ませようとしてマコトは言います。

 

「迂闊に手を出すと何をされるかわからない。葛城さんと同じですね」

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わろてます。語尾も少しあげて「僕いまボケてますよー!」って感じ全開で言ってます。

 

しかしミサトは……

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無視。完全なる、無視。

 

酷いよ酷すぎるよミサトさん!まぁこの時シンジは初号機に取り込まれたままで助ける目処もたってません。そんな時に何言ってんだというミサトさんの気持ちもわかりますが、それにしても酷い。洗濯物を取りに行かせてた人に対する仕打ちとはとても思えません。

 

それを受けたマコトは小さく、

 

 

「すいません……」

 

 

と言います。ボケた後に謝るとか一番恥ずかしいですよ。

 

 

マコト、不憫。

 

 

そんな冷たい態度を取っておきながら22話ではエヴァ建造の情報を集めさせたり、24話では正体不明のカヲルの情報を得るために、マヤちゃんが管理してるシンクロテストのデータを盗ませたり……。

 

ミサト「すまないわね、泥棒みたいなことばかりやらせて」

 

と、一応謝りますがやめるつもりもないでしょう。

 

これは……この葛城ミサトという女は……

 

 

マコトの気持ちに気付きながら利用してやがんな!!

 

 

自分を好きな男を散々利用しつつ、自分は加持さんとベッド・イン。

これが、女のやり方か!!

 

 

「いつか!」と、ミサトとのワンチャンを期待しながらミサトの犬やってるマコト、不憫!!

 

 

そしてついに来る、マコトが一番カッコいい24話Bパート。

 

カヲルが使徒だと判明し弐号機と供にセントラルドグマへ。

アダム(実はリリス)と接触されるとサードインパクトが起こると言われてたので、カヲルがアダムまでたどり着いたら本部ごと自爆するようにこっそりマコトに指示をだすミサト。自爆したらもちろんみんな死んじゃうのでミサトは「すまないわね」、とマコトに謝ります。

 

そこで遂にマコトは言います。

 

 

「いいですよ、あなたと一緒なら」

 

 

い、言いやがった!しかもさらっと言いやがったぁ!

「月が綺麗ですね」ばりの名告白!よっ!カッコいいぞマコト!

 

しかしミサトの返答は、

 

「ありがとう」

 

お、大人な回答……。まあ戦闘中だしね。仕方ないね。

とにかく、

 

 

マコト、不憫。

 

 

そしてマコトとミサトの物語は旧劇場版へ。

 

まごころを、君に」で人類補完計画が発動し、人類が皆LCLへと還元されていきます。

心の補完が行われるので、LCLになる瞬間「その人が愛する人」が目の前に現れます。

 

ちなみに伊吹のマヤちゃんの場合はリツコ。

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涙流して喜んでます。マヤちゃん、ガチやったんだね……。なんだろう……

 

私、興奮します!!

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閑話休題

 

 

 

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冬月先生の場合はユイ。「碇、キミもユイくんに会えたのか?」と、念願叶って大満足な様子。

 

 

そして皆さんお待ちかね、我らがマコトは……

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引いてます。目前に好きな人が来て、引いてます!

 

マコト、お前、まさか…………

 

 

 

 

 

童貞やったんか?

 

 

 

 

 

どうしていいか分からなくなっちゃったんか?

とはいえ、なんだかんだ補完は完了し無事?LCLへと還元されるマコト。

でもなんか。

 

 

マコト、不憫。

 

 

こうして旧エヴァにおける葛城ミサト日向マコトの関係は終わったのであった。

 

 

では、新劇場版ではどうか?

 

前述したように新劇ではこんな要素がほとんど描写されていないので、マコトの持ち味がほとんど出てない。

 

 

そんな中、冒頭に書いた通り本日二度目のシン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきた訳だが、僕は見逃さなかった。

 

物語後半、シンジがヴンダーに戻ったことで不満をあらわにする新オペレーター北上ちゃん。

その矛先はシンジに厳しい処分を下せない葛城ミサト艦長にも及びます。

 

北上ちゃんが「(ミサトの)信用度ゼロなんですけど」みたいな事言うと(細かいワードまでは覚えてない)、他の全員がミサトをかばうんですが、

 

誰より先に、

 

「艦長は贖罪している(ここも詳しくは覚えてない)」

 

的なことを言ってかばったのが……そう、もうお分かりですね?僕らのマ・コ・ト!

その瞬間僕は思いました。

 

 

コイツ、新劇の世界線でも、14年経ってても、ミサトのこと好きじゃん!!!

 

 

 

流石。流石です。庵野監督ですらマコトの愛の邪魔はできません。

 

やはり、ナンバーワンオペレーターは、日向マコトで決まりです。

 

 

皆さん如何でしたか?日向マコト、好きになってくれました?

 

 

タイトルには日向マコトという男、と書きましたが、

 

 

日向マコトという、漢。

 

 

と書くのが正しかったようです。

 

それではまた次回、青葉シゲルという男、でお会いしましょう。さようなら。

 

 続劇?

シン・エヴァンゲリオン劇場版とワタシ

時に、西暦2021年3月14日

 

公開より6日遅れて、やっと、行ってきました。

シン・エヴァンゲリオン劇場版という名前の新世紀エヴァンゲリオン卒業式」に。

 

式典の時間は155分。これは帰ってきてから失敗したなぁと反省している点ですが、ネクタイ締めてジャケットで行くべきでした。卒業式なんだもんね。反省。

 

とにかく、これまで新劇場版を共に観てきた友人たちと3人で映画館へ。

 

冒頭12分は既に観ている(30回程)ので僕にとってはそこからが本当の始まり。

あ、もちろんネタバレはありです。考察など高尚なことはできません。24年分の感想をひたすら語るだけですのでよろしくです。

 

前述した冒頭部分は2019年7月6日にフランスのイベントで上映され、その様子は日本各地の街頭特設スクリーンにて中継された。

混雑を避けるため場所の発表は当日となっており、僕は当日の予定を急遽変更して大阪会場(グランフロント大阪前)まで走った。

 

高橋洋子の小一時間に及ぶライブを見せられ(会場にいるほぼ全員がまだかよ!と思っていただろう(笑))、やっと上映開始。

冒頭はパリ、ユーロネルフ復旧作戦のとこですね。スタート直後から大興奮のシーンが続き僕は口元に手を当ててずっと震えていました。

前回も書いたように新劇のアバンの盛り上げ方はやはりとてつもない。

何が起こってるのかもよく分からないながらも、封印柱が作動してパリの街が復元されたシーンには「おぉ……」と声が上がっていました。こういう反応は映画館では中々起こらないから楽しかった。

 

この冒頭映像公開前に庵野秀明監督からのビデオメッセージがあり、そこで「僕はエッフェル塔が大好きでずっと憧れていて……」みたいな話があったんですよね。

 

そしたら、おい、

 

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ぶち折っとるやないかい。

 

おいおい、

 

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ねじねじしとるやないかい。

 

 

ここで、1990年に庵野秀明が監督を担当したTVアニメふしぎの海のナディアを観てみましょう。

 

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30年前にもぶち折っとるやないかい。大好きなエッフェル塔を。

 

庵野秀明の愛情表現というのは破壊で表現されるのですね!

 

 

というツッコミなどしながら、冒頭部分は進んでいきました。まあ、色んなことを置いておいたとしても、やはりエヴァの戦闘シーンは圧倒的にカッコいい。

 

そして冒頭シーンが終わり、遂に未見のシーンへ。

 

シンジはサードインパクト後の世界でなんとか生きる人々の村にたどり着いてそこで生活するシーンが続きます(半分くらいは無気力でしたが)。

このシーンは全く予想外で驚きました。

155分あるとはいえ、そこはエヴァ。とんでもない戦闘シーンばっかりが続くのか、となんとなく殺伐としたイメージをもってましたが、意外や意外。

大人になったトウジやケンスケの登場にも驚きました。

大人トウジって、時をかける少女の功介感、ない?

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ほら。まあ貞本義行なので当然っちゃ当然ですが。

 

 

閑話休題

 

 

90年代、まさにエヴァを起点としてセカイ系という言葉が生まれた。

 

セカイ系

セカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」(wikiより抜粋)

 

エヴァ以降まさにこういう「セカイ系」な作品が巷に溢れ、僕もその多数を摂取してきたし、セカイ系作品は僕の大好物だった。新海誠作品も大好きだし。

 

セカイ系の代表、スター選手だった昔のエヴァ。だが今回は少し違うと思っていた。

それがこのシーンで明確になったような気がした。

 

エヴァ序、TVアニメでは第2話にて第三新東京市を見下ろしながらミサトがシンジに「あなたが守った街」と言うシーンがある。

確かにシンジはエヴァに乗って使徒と戦い、街を守った。けど、街って?街って誰のことだろう。「街」は守ってるけど「人」は?エヴァが、シンジが守っている「人」がどんな人達なのか、その描写はほとんどない。出てくるのはシンジのクラスメイトくらいで、それも名前のわかる「トウジ、ケンスケ、ヒカリ」くらいだ。

 

主人公が生活している場所の社会活動がほとんど分からない。

これこそがセカイ系と言われるひとつの要因だ。

 

シン・エヴァではそこから抜け出して、リアルに生きる人々を描写していた。

それによってシンジが守っていた「人」、壊してしまった「生活」などが改めて、リアルに感じられた。

これは庵野秀明が歳を取った、ということなんだろうか、と色々考えることが出来たシーンだった。

 

 

ただひとつ、そんなことがどうでも良くなるくらい強く想った事があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

相田ケンスケに、なりたい。

 

 

 

I、wanna、be、KENSUKE AIDA.

 

相田ケンスケになって、アスカと一緒に暮らしたい。

相田ケンスケになって、アスカに「ケンケン」と特別なあだ名で呼ばれたい。

相田ケンスケになって、裸のアスカにバスタオルをかけてやりたい。

相田ケンス…………

 

 

ハッ!!

 

すみません。155分で一番リビドーが出た瞬間だった。

なんだよ相田、役割がレベルアップしすぎだぜ……。

 

その後、徐々に感情を得てその後LCLに還ってしまうレイに涙させられ(この手法何度目だよ!)、シンジとアスカはヴンダーへ。

ちなみにこの時ケンスケが撮ってたビデオカメラに「残1時間22分」と、録画できる時間の残りが表示されてましたが、これって映画の残り上映時間だったりするのかな?と思って観てました。確認は出来ませんでしたが。

 

 

そして遂にラストバトルへ。

 

ここからはもうノンストップでしたね。

 

出撃前のアスカがシンジに言います。

 

 

 

「あの時はアンタの事好きだったと思う。でも私が先に大人になっちゃった」

 

 

 

 

 

 

アスカァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!

僕は大人になってないからまだキミのことが大好きです!!!!

 

ラーゼフォンみたいなこというな!!でもラーゼフォンセカイ系なので先に大人になっちゃったヒロインとちゃんと結ばれるんだよ。でももうエヴァセカイ系じゃない。だからみんなちゃんと大人になるんだ。

 

「僕を好きだったって言ってくれてありがとう。僕もアスカが好きだったんだと思う」

 

このシンジの返答よ……。なんだよさっきまでウジウジしてたくせに。

もうこの辺から涙が止まらない。

 

まごころを、君に」の中でアスカがシンジに言うセリフはこう。

 

「アンタが全部私のものにならないのなら、私、なにもいらない」

 

なんといういびつな告白。ここから24年経つ(劇中でいうと14年か)とこんなに発言が変わるのか……。

 

 

エヴァの卒業式に来たのに、式が終わる前にいきなり好きな娘にフラれた……。

 

 

その寂しさに胸が痛んだ。

 

そしてヴィレとネルフの戦いが遂に始まり、激しさを増していく。

Qから既にそうだったけど、最早戦うのは世界の命運を背負わされた少年少女だけではない。大人もちゃんと戦うのだ。文字通り。こういうところもセカイ系からの離脱に思えた。

 

まあ事細かにストーリーを追っていっても仕方ないのでちょっとと飛ばしてラスト辺りへ。

ゲンドウが出てきた辺りからリツコがゲンドウを撃つ、ミサトが撃たれるくらいはありそうだなと考えていたので予想通りでした。全く知らない展開と思っていたらちょこちょこ知ってるシーンが混ざってくる。

 

卒業式自体は初めてだけど、式の最中は昔の思い出を次々と思い返すよね。

まさにそういう感覚だった。

 

そしてシンジとゲンドウの対決。

 

エヴァを語る上で「父と子の物語」だとはよく言われるし実際そうだけど、思い返してみれば旧劇場版でシンジとゲンドウはちゃんとむきあっていない。

 

ゲンドウ「すまなかったな、シンジ」

 

ってシーンがあるからなんとなく決着がついたように観てたけど、いやこの関係性全く解決してねぇ!

 

そしてまさかのゲンドウの独白。ゲンドウにはなんだかんだ全部言ってほしくないな、という気持ちもあったんですが、ここまでの流れで「完全にエヴァを終わらせようとしてる感」が出まくってて、それがこのシーンでより確定的に感じました。

 

対峙する初号機(シンジ)と13号機(ゲンドウ)。

戦っている場所が書き割りになったくらいから、

 

 

きたきたきたきたきたきた、

庵野秀明がきた!!!!!

 

って感じで僕の感情も着地できなくなってきました。

この辺りからもうずっと泣いてます。何故かは分からない。

 

そしてそして、シンジとゲンドウの対話シーン。

 

youtu.be

 

この曲がBGMで流れるんですが、これは旧劇でも流れるんですよ。

どこかと言うと、シンジがユイと最後に話すシーン。

 

この曲にのせて旧劇ではユイに、新劇ではゲンドウに別れを告げるんですよね。シンジは。

そして旧劇ではこの曲にのせて、ユイと冬月が話すシーンがあります。

 

ユイ

「ヒトはこの星でしか生きられません。でも、エヴァは無限に生きていられます。

その中に宿る、人の心とともに。たとえ50億年たっても残ります」

 

冬月

「ヒトの生きた証は、永遠に残るか」

 

 

これが、1997年時点での映画のラストです。エヴァは、永遠に残る。

自分が作ったエヴァンゲリオンという作品が永遠に残る。これが庵野秀明のあの時点での宣言でした。

(ちなみに僕はこのシーンが凄く怖くてここだけはあんまり見返したくないし、この曲も聞くの怖いんだよな……。)

 

そして24年という月日が流れ、今のところその通りになっている。

未だにみんなエヴァに熱中していて、僕もその中のひとりだ。

 

しかし、24年前と同じ曲が流れるシーンで今回シンジは父親と別れ、すべてのエヴァンゲリオンと別れることを選んだ。

24年前、永遠に残そうとしたエヴァを、シンジは、庵野秀明は全て、消そうと決めたのだ。

 

そして、レイと別れ、アスカと別れ……

 

 

 

 

ってちょい待て。

 

 

 

 

 

このまま熱く最後まで行こうと思ったけど、待て。

アスカの頭を撫でたのが、ケンスケ?

お、お前が本命なのか?アスカの?

嘘だろ?他に関係性あるキャラいなかっただけだよな?

だってあれだぞ、あいつTVアニメ第9話でアスカの盗撮写真学校で売ってたやつだぞ?

アスカ、考え直してくれ頼む!!

 

 

卒業式前に好きな娘にフラれたと思ったらネトられだった件!!!!

 

 

悲しい。旧劇のように今回も人一倍がんばってたアスカには幸せになって欲しいけど、これは辛い……。

 

 

とまあ、またリビドーに邪魔されましたが、続きです。

 

 

旧劇ラストと同じ砂浜で二人になるシンジとアスカ。

この辺の昔の場面の織り交ぜ方はほんとやばくて、卒業生の僕には耐えられませんでした。ほんとに涙が止まらん。

 

僕は前回のブログで映画のラストは「さらばすべてのエヴァンゲリオン!」とみんなで叫んで終わる、と書きましたが、あながち間違ってもなかったなと。

このセリフって映画のキャッチコピーでしかなくて、正直劇中では出てこないと思ってたんですよ。

 

でもこの言葉をシンジははっきりと言った。

 

 

 

 

 

ほんとにほんとにほんとにほんとにほんとーーーーーーーーーーーーに、

 

 

 

 

エヴァは終わるんだ。

 

 

 

 

 

そう思ったら拭いても拭いても涙が止まらない。なんならこれ書いてる今も思い出して泣いてます。ガチで。

 

そしてセカイは正常に戻り現在?へ。

大人になってる碇シンジ。迎えに来るマリ(ここはアスカが良かったな……)。

ラストシーンについて書く前に、エヴァという作品の終わり方について先に書きます。

 

この終わり方は漫画版に近いものがあると思いました。でも正直漫画を読んだ時はあまりにキレイに終わりすぎてエヴァ以外の作品であれば完璧な最終回だけど「これはエヴァじゃない」と思いました。

結果的にその漫画版のエヴァに近い終わりになった訳ですが、この155分という時間で圧倒的なものを見せられてきたその終わりがこれだと思うと、漫画版のときのような気持ちには一切なりませんでした。

この最終回を素直に、完璧に受け入れられた。

 

で、大人シンジの声、ですが。

 

神木隆之介

 

でしたね。

 

 

いや、どれだけの大役持ってくんだよこの人は!!

 

宮崎駿も!

 

細田守も!

 

新海誠も!

 

そして庵野秀明までも!

 

 

みんな神木くんに夢中かよ!!

いや、ほんと凄いよ。エヴァのラストだけかっさらっていくって、ほんとに凄いよ。

 

 

 

とまあ声優についても衝撃がありましたね。

 

 

 

そして、ほんとにほんとにラスト。

 

宇多田ヒカルOne Last Kissが流れ出した瞬間、僕の涙腺はもう何度目か分からない決壊をしました。

そう、この曲は、卒業生退場の合図なんですから。

 

 

シンジとマリは手を取り合って駅から出ていく。

 

そしてその世界は、実写だった。

 

現実の世界に、シンジ(庵野)は歩みだした。

 

この、現実の、実写の街を走るシンジを観た時、僕の涙はもう一段あがった。

友達と来ているし人がいっぱいいる映画館なので、泣いてても出来るだけこっそりバレないように、とは思ってるんですが、最後はもう我慢すら出来なくて、嗚咽混じりで肩を震わせながら泣きました。それこそ「まごころを、君に」のラストでアスカの上で号泣するシンジばりにです。

 

単純に僕は超がつくほど涙もろいので泣くだろうとは思ってましたが、自分でももう説明が付かないほどに涙が、嗚咽が止まりませんでした。

そのままエンディングロールになって少しおさまるかと思ったんですが、一番上の「庵野秀明」の文字を観た途端またひとつ涙のレベルが上ってしまい、One Last Kissが流れ終わるくらいまではずっと泣いてました。

 

 

エヴァが終わる。

 

エヴァが終わる。

 

エヴァが終わる。

 

 

24年間、ずっっと自分と供にいたエヴァが、終わったんだ。

 

 

中学、高校は3年。大学は4年。小学校でも6年だ。

でも僕は24年間ずっとエヴァといた。それが、終わった。

 

 

 

映画終了後「いやー、流石にあんな泣くとは思わんかった!」と言ったら、横に座ってた友人に「いや、引くわ!」と言われました(笑)。

どうやら横の人を引かせるくらいに泣いてたようですね!(当たり前か)

 

 

これが1997年にエヴァと出会い、2021年の今日、エヴァと別れた僕の物語です。

 

これまでのブログと違い、観てきた直後に思い出すままひたすら書いたので、かなり乱文だと思いますが、熱量優先で書ききってしまいました。

 

たぶんこの後も書きたかったこととか出てくるかもしれませんが、それはまたその時に。

 

そしてこの卒業式が普通と少し違うところは、

 

劇場に行けばまた式に参加出来る。

 

ということなのだから。きっとあと何回か行くと思う。

でもとりあえず今日言っておこう。

 

 

さよなら、シンジ。

 

さよなら、レイ。

 

さよなら、マリ。

 

さよなら、アスカ!!!!

 

 

 

さよなら、すべての、エヴァンゲリオン

 

ほんとうに24年間、ありがとう。

 

卒業、

 

 

 

おめでとう。

 

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(添付:卒業証書)

 

 

 

追記:主題歌「One Last Kiss」ベース弾いてみました。

youtu.be

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版とワタシ

前回のあらすじ!

1997年、僕は新世紀エヴァンゲリオンと出会い、その後の人格形成に多大な影響を及ぼす程の衝撃を受ける!

そしてその十年後、僕は再びエヴァンゲリオンと相まみえるのであったーーー!

 

 

ふぅ。彼氏彼女の事情の次回予告風に言ってみました。知らない人はYoutubeででも見とくれ。

 

前回は新世紀エヴァンゲリオンとのあれこれを書きましたが、今回は新劇場版のお話。

 

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2007年9月1日。待ちに待ったヱヴァンゲリヲン新劇場版:序が公開になった。

 

が。

 

あれ?あの十年前の大ブームは何だったの?

というくらい世間の話題としては小さかった。今の盛り上がりを味わっている人からすると、そんな事なかったでしょ当時も大盛りあがりだったでしょ、と言うかもしれないが、それ程じゃなかったんだな。

 

実際公開劇場数は少なく、劇場もTOHOシネマズのような大シネコンではなく、あまり大きくないテアトル系。僕が観に行ったのはシネ・リーブル神戸のせいぜい100席くらいしかないスクリーンだった。

しかも当時のシネ・リーブルはネット予約が出来ず、映画館での直接購入しか出来なかった(たぶん)。話題がそこまでだった、とはいえそれでもエヴァ。チケットが取れず、ひとつ時間を遅らせてしかも立ち見で観た。今まだあるのか分からないが当時は立ち見あったんですよね。

 

僕は通路の階段の上に座り込んで観た。冒頭に出るTVアニメ第1話と全く同じ「時に、西暦2015年」というテロップ。これだけで僕の目は潤んだ。

あの時観た碇シンジ。あの時観た使徒サキエル。あの時聞いた揺れる電線の音。

全てが僕を刺激した。とはいえ、序はキャラクターの作画を始めTVシリーズとの変化がほとんどなかったので落ち着いて観ていた。

 

そして迎えるヤシマ作戦

やってくるキラキラのラミエルちゃん。

霜降り明星粗品の悲鳴ばりの発射音で加粒子砲を放つラミエルちゃん。

形状すら変化させるノリノリのラミエルちゃん。

 

ひゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

 

FATSOUNDS(GLAY)の歌詞みたいなテンションになりました。

いや最高すぎ楽しすぎかよ!!!

そして最早本編よりもテンションのあがった「破」の予告。

 

出撃するエヴァ仮設5号機!?

 

月より飛来するエヴァ6号機とそのパイロット!?

 

てか最後の女の子誰!?

 

パワーワードだらけ……。パワーワード、だらけ。

僕は席横の階段に座ってたので、すぐ横の男オタクの「マジか…」という言葉を聞き逃さなかった。

そうよね!そうなるよね!この予告ってば!

 

10年ぶりに会ったエヴァはそれほど変わってなかったみたい、と思ったら全然違うようだった。

あ、忘れるとこだった。ヤシマ作戦最大の名シーンったらこれしかないですよね。

 

 

「笑えばいいと思うよ」

 

 

前回僕はアスカ派だと断言しましたが、ここが名シーンなのは当然認めます。

で、この時の綾波レイの笑顔、皆さんはどれがお好き?

 

TVシリーズ第6話

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②劇場版シト新生「DEATH」(TVシリーズを作画修正した総集編)

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

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僕は圧倒的②番ですね。①の修正版が②なわけですが、当時これ観た時思いました。全く違うやん!と。これ最早修正なんてレベルじゃなよね。DEATHの中で最も力入れたところだと思う。①は作画レベルとかそういう以前に顔の色が悪い。ゾンビかってくらいの土気色。色が違うだけでもっとよく見えたと思うけどな。

新劇場版もキレイではあるんですが、なんか違うなあという感想に。こうやって観るとだいぶCGっぽいですね。なんかシドニアの騎士みたいに見えます(笑)。

 

そしてなんだかんだあって約2年後。

 

 

2009年6月27日。

 

遂に公開される、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

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いやぁ。最高だった。破が人生最高の映画なんて言っちゃう人もいるんじゃないかってくらい、みんな大好き、破。

僕は公開一週間のうちに3回観に行きました。その後1回行って合計4回観ました。ちなみに序は2回観てます。

 

これはヤバすぎた。そもそも単純にストーリー上盛り上がり必死な8話~19話をあれだけ上手にやって面白くない訳がない。

僕がTVシリーズで好きなのはやっぱり19話で、アスカが出てくる8話も大好き。

それをあんだけ観たことないシーンの連続でやられるとたまりませんよね。

というか、破もQもアバンでガツンと盛り上げてスタートするから盛り上げ方として最高なんですよね。

 

あとは新キャラ、マリが操縦する弐号機とゼルエルの戦闘シーンはほんとに神がかっててこのシーンだけだと何十回観たかもう分かりません。

特にこの時のマリの作画が躍動的で大好きなんですが、おそらくTRIGGER(キルラキルなどでおなじみ)の作画陣がやったんではないかと。この時のマリってキルラキルっぽいと思いません?

 

何もかも最高の破なんですが、昔のエヴァと違いエンターテイメント大作に落とし込まれてなんとなく「クサイ」と感じてしまうところも少しだけ。

 

ダミープラグでアスカの乗った3号機をグッチャグチャにした初号機。

その後ブチ切れたシンジは親父のゲンドウに「父さんも大切な人を失えばいいんだ!そうすれば分かるよ!」って言いますよね。ゲンドウの動機って最初から最後まで失った嫁、碇ユイに再び会うためで、何も分かってないシンジのセリフがゲンドウに一番刺さっちゃった!ってシーンな訳です。

にしてもこのセリフが取ってつけたような感じで「いやこれゲンドウの事情分かっててワザと言ってるやん」としか思えないんですよね。シンジのセリフじゃなく脚本家が考えたセリフにしか聞こえない。

TVシリーズの時はこんな「分かりやすい」セリフじゃなかったので、ここはいつもちょっと笑ってしまいます(笑)。なんかわざとらしくて。

 

と、こんな文句を言いつつも見返した映画ナンバーワンかもってくらい大好きです。破。あ、マリもすき。

 

 

そしてそしてそして、待たされまくった3年後。

 

2012年11月17日

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 公開!

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当然、序、破、Q全て公開初日に劇場へ。

冒頭のアスカの戦闘シーンでテンションマックス。やっぱエヴァって最高!最高!最高!

 

…………なんだこれ。なんなんだ父さん!何をしたんだ!エヴァに何をしたんだ!

 

知らないシーン。そりゃそうだ。破にだっていっぱいあった。リメイクなんだもの当然。

でも、それにしても、なんだ?船?葛城艦長!?これが、エヴァ

 

あ、そうか。もうちょっとしたらシンジが「ハッ!」って病室で目を覚ますんだな。そうに違いない。

違い、な、い?あれもう10分経った。あれあれ?15分経った。あんまり長いと夢オチ辛くなるよ?

 

…………あ、これ現実なのね?

 

ドキドキしながら観てた。このエヴァは、ちょっと……。

 

 

結果的に結構な数のエヴァファンから叩かれたQ。僕も観てる最中、途中までは「こんんなの嘘だっ!!」って思ってたんですが、なんだかんだシンジがネルフにたどり着いてカヲル君と会ったくらいからだんだんいつものエヴァに見えてきて(不思議)、なんだかんだ受け入れてました。

 

だって新劇場版なんだもん。昔と同じもの見せられても、ね?

 

単純に作画レベルは神がかり的に上がっていってQはどのシーンも素晴らしすぎてずっと観てられるんですよね。

 

僕は自分の中に溶け込んだ90年代のエヴァと、新劇場版のエヴァは同じでありながら全くの別物と捉えてます。

 

エヴァ庵野秀明の完全なる私小説で、庵野秀明という個人が自分を削り落として血だらけで作った作品。

もちろん新劇場版にもそういう側面はあるだろうし、事実魂を削ってエヴァを作り「Q」公開後に鬱になったと庵野秀明は語っている↓。

www.khara.co.jp

 

が、世紀末という当時の時代感とマッチした旧エヴァと同じ見方を、2021年にはもうできない。Qのぶっ飛んだ内容もAir/まごころを君に、の監督の身を切ったぶっ飛び方とはまた別のように見える。

なんだかんだQは理性的だ。ちゃんとした大人が作ったように思う。

 

前回書いたように当時は年齢もあり、エヴァの謎に迫るために考察本を買い込んだりしていたが、今回のエヴァは前述した捉え方もありそんな風に観なくていい、と思っている。

 

だからよく言われているループ説とかあんまりどうでもいい。

僕は以前のレヴュースタァライトの感想ブログでも書いたようにループものが大大大好きだ。

でもそれをエヴァに持ち込まれると、90年代僕があんなにも夢中になったエヴァ、あの世界すら結局ループの1つでしかなかったのか、と少しだけヘコむ。

なんだか薄められたような気持ちになるのだ。

 

だから月に棺桶が並んでて、開いてる数だけループしてる。とか、ネブカドネザルの鍵、とかについて全く考えたことがない。

 

だってそんな事しなくても、意味なんて分からなくても観てて最高に楽しくて震えるくらいのエンターテイメント。それがヱヴァンゲリヲン新劇場版なのだ。

少なくとも僕にとっては。

 

だからシン・エヴァンゲリオンがどういう終わり方になろうとも僕はきっと楽しめるだろう。

 

Qでエヴァの呪縛」という言葉が出てきて、シンジたちエヴァパイロットが年を取らず14年経ったという事を聞いて「いやそれオレのことじゃん!!」と思った。

1998年にREVIVAL OF EVANGELIONで一度エヴァが終了して、2012年のQ公開まで14年。ずっとエヴァに呪われて、縛られてきた。そんなエヴァファンのひとりが僕です。はい。

 

だからシン・エヴァンゲリオンのキャッチコピー、

 

「さらば、全てのエヴァンゲリオン

 

はこれ以上ない言葉だった。

 

 

 

そんな訳で僕が予想するシン・エヴァンゲリオンのラストはこうだ。

 

 

シンジ「よし、みんなで一緒に叫ぼう!」

 

 

登場人物と観客全員

「さらばすべてのエヴァンゲリオン!!!」

 

 

これできっとみんなエヴァから解き放たれるだろう。

 

 

新世紀エヴァンゲリオンとワタシ

時に西暦2021年。3月8日。

 

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遂にシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開される。

 

当然僕は公開初日に劇場へ……と言いたいところだが、なんと、色々あって僕が観に行くのは3月14日になる。正直気が狂いそうだ。誰かキング・クリムゾンを使ってくれ。キング・クリムゾンの能力で3月8日~14日の6日間を消し飛ばしてくれ。

 

しょうがないので僕はこの6日間ネット、特にSNSから完全に姿を消してスタンドアローンで生きていこうと思う。

その前に、僕にとってエヴァがどういうものだったのか喋りまくろうと思う。だってもうすぐお別れなんだもん。エヴァと。

 

 

僕が新世紀エヴァンゲリオンと出会ったのは西暦1997年夏。当時碇シンジと同じ中学生だった。

世の中では今の鬼滅の刃のような空前のエヴァブームが訪れていて、今ほどアニメ、オタクなんてものが世に受け入れられていない中でほんとに信じられないほどのブームが起こっていた。

中学校の靴箱の上には誰が買ったのか分からないUCCコーヒーのエヴァ缶がズラッと並び、エヴァを見たことある人にもない人にもその存在感を放っていた。

 

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だが、僕の住む地域ではテレビ東京系が映らず、TVシリーズは放送されていなかった。そんな事情もあり、ブームなのは知りつつも未視聴状態だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『エロいシーンあるよ、エヴァ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでどれだけエヴァエヴァと叫ぶ友人たちを見ても心が動かなかった、観る気のなかった僕の心を一気に動かした言葉だ。

今でもこの言葉を放った友人には感謝している。

 

97年の夏休み、僕は友人と奈良旅行に来ていた。そして帰りのバスが出る1時間前、この言葉を聞いた。

そこからの僕は速かった。近くの商店街の本屋さんに当時3巻までしか出ていなかった漫画を買いに行った。いや、買いに走った。

だが前述の通り当時は空前のエヴァブーム。ない。何軒本屋を巡っても置いてない。なんとか1巻だけを見つけて買ったが1巻にはエロいシーンなどはない。なんなんだ、騙しやがったな、どこがエロいんだ、エロいシーンをよこせ。

暴走状態だった。バスに乗り家に帰ったあと、その友人に3巻までを家に持ってこさせた。まあそこで見られるのは綾波レイの全裸くらいだったし、そこに関しては期待外れだった。

 

ただ漫画3巻の時点(ヤシマ作戦まで)で単純に面白くてハマってしまっていたし、「アニメにはこの先、エロいシーンあるよ」という更なる友人の言葉もあり、レンタルビデオというカタチでTVシリーズにも手を出し始めた。

漫画でヤシマ作戦まで見ていたということもあり、僕がレンタルビデオで初めてみたエヴァアニメは第7話、8話が収録されている4巻だった。

 

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8話。

 

アスカ、来日。

 

僕はここで惣流・アスカ・ラングレーと出会う。

先に宣言しておこう。レイorアスカどっち派かという論争はよくあるが、僕は圧倒的にアスカ派だ。まさに圧倒的。なんでだろう、レイには心動かされないんだよね。ハルヒでは圧倒的長門派なのに。

とりあえず8話でアスカに出会ったことで僕のエヴァ熱は更に加速する。

 

当時は全26話中20話までしかビデオリリースされておらず、今のようにネットで探せるなんて世界でもなかった。我慢できずシナリオ集(要するに脚本)を買って文字だけで21~26話を「読んだ」。

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ただでさえ訳のわからない25、26話を脚本だけで読むとどうなるか……いやわかるはずねぇ。

 

とにかくこうして僕はエヴァ全26話をクリアした。その頃には友達の「エロいシーンあるよ」なんて言葉は彼方に霧散し、意味のない言葉に成り果てていた。

 

ただただ。ただただただただただただ、エヴァンゲリオンは面白かった。

 

そして今は1997年、夏。

 

そう、ちょうど今、公開されているのだ。

 

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新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(THE END OF EVANGELIONが。

 

早速友達と見に行った。その頃には例の「エロいシーンあるよ」君より僕はエヴァに詳しくなっていた。

冒頭のシンジ君のオ○ニーシーンにいきなり頭をぶん殴られ(よく考えたらあのシーンアスカがおっぱい丸出しになってるのにそっちに気がいってる一人もいない。僕含め)、大興奮のエヴァ弐号機とエヴァシリーズの戦闘シーン、まごころを君にが始まってからの超展開、ラスト「気持ち悪い」から静まり返ったまま明転する映画館。

あの空気を当時劇場で味わえたのは宝だと思う。

 

この劇場版を経て僕はもう、エヴァとひとつになってしまった。20話の碇シンジ状態。

毎日毎日毎日毎日エヴァエヴァエヴァ

授業中プリントの裏にエヴァを描き、ネルフマークを描き、ロンギヌスの槍を描き(螺旋具合が難しい、)全話のサブタイトルを暗記し、セフィロトの樹の丸の部分の名前を覚え(10個の丸のところ全部に名前がある)、考察本を買い漁った。

 

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 今考えると誰が書いたかもよくわからない、こんな本が本屋に山程あった。ちなみにこれどっちも持ってます。

 

とにかく常にエヴァに触れていた。 

 

 

 

エヴァを全く知らなかった1997年。

エヴァを初めて知った1997年。

エヴァTVシリーズを全部観た1997年。

エヴァの映画を観に行った1997年。

 

 

 

そして1998年3月。97年の公開から1年と経たず、劇場版がリバイバル上映された。

 

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REVIVAL OF EVANGELION

 

この頃になってもエヴァの人気は衰えず、むしろTVシリーズの放映もやっていなかった田舎にはちょうどこの頃くらいにブームの頂点が訪れていた。

普段アニメなど死んでも見なさそうなスクールカースト1軍バスケ部女子などにも頼まれ、アニメを録画したビデオを貸したりしていたくらいだ。

そんな中でのリバイバル上映。早速映画館へ。ひとりで観に行ったのだが、何回も観たくてしょうがない。我慢ができない。そこで少年の僕は思った「そうだ、映画をビデオカメラで撮影すればいいんだ!」。

はい、バカと思わないで。少年なので。駄目な事だとか思わずに普通にこの考えに至った。だがビデオカメラなど家になく(良かった…)、更に考えた挙げ句僕は、カセットテープレコーダーを映画館に持っていき、映画の音だけを録音して帰ってきた。

 

いや、これも駄目なことなんだけどね!子供だったので!あんま分かってなかったので!許して。

 

どちらにせよ、音だけ録ってどうすんだと。何がおもろいねん、と。

エヴァは映像が肝だろ、と。思うかもしれないが、その頃の僕は色々尋常じゃない。

 

綾波レイのセリフだけを録音したMDを聞きながら通学していた、というオリラジ中田さんの有名なエピソードがありますが、こちらはなんだかんだいって「異性の声」なんですよね。リビドーに強く結びついてますね、ええ。

だが僕は「Air/まごころを君に」の音だけをひたすら聞いていました。ノー編集で。こちらはエヴァそのものへの愛です。あっちゃんのリビドーになんて負けません。

 

なので僕は映画のかなりのセリフを今でも覚えていて、映画見る時は一緒にブツブツ言いながら観てます。……やめてアスカ言わないで映画のラストのあのセリフ、僕にだけは言わないで。

 

 

そんな状態のまま僕は中学を卒業し、高校生になってもこの熱はほぼ覚めることなく、エヴァだけにとどまらずエヴァの次に庵野秀明が監督を担当した彼氏彼女の事情にもドハマリ。

 

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これも演出はほぼエヴァだしめちゃくちゃ面白いからエヴァファン(特にTVシリーズ)にはオススメ。

 

ラーゼフォンエウレカセブンなどその後次々と現れたエヴァフォロワー作品にも「エヴァのパクリやんけ……」と文句を言いつつなんだかんだでハマったりして僕はオタクとしてのレベルがどんどん上がっていった(特にラーゼフォンはめちゃくちゃ面白かった超オススメ)。

 

 

オタクは続けながらも、流石にエヴァエヴァばっか言わなくなった2006年、当時購読していた月刊ニュータイプにてこんな発表が……。

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REBUILD OF EVANGELIONんんんんんんんんん!!!???

 

最初はリビルドオブエヴァンゲリオンってタイトルだったんですよね。

とにかくこれを見て震えた。エヴァを、エヴァを新しく作り直す、だと?

 

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クリエイターというのは新しいものを作り出すことの方に命をかけていて、過去の作品のおかわりを求められることを好ましく思わない。そういう認識だったし、作家性の強い人程そうだと思う。庵野秀明もそういうのを嫌いそうだな、と。

エヴァ終了直後は噂としてエヴァ2の話題が次々あがり、そのたびに「んな訳ねぇよ」と心の中で否定してきたし、実際2などなかった。

それが再構成というカタチでまたエヴァをやるなんて青天の霹靂!

 

最早自分の一部になるほどに身体に溶け込んで当たり前になっていた「エヴァ」という存在に、また熱が宿った瞬間だった。

 

そして2007年9月1日。

 

名を、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序と変えた新劇場版1作目が遂に公開される。

 

 

 

僕が新世紀エヴァンゲリオンに出会った10年後の出来事だった。

 

 

劇場版再生産総集編 少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド

前回スタァライトとの出会いを書きなぐって、やっと劇場版の感想が書けます。

既にどっと疲れてますが、勢いで書こう。もちろんネタバレあり。

 

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という訳で、今回の劇場版は総集編ですね。もしかして自分は再演中なのか?というくらい長い間アニメオタクをやっていると避けては通れない「総集編」という映画化。

アニメ業界以外では少ないんじゃないでしょうか。テレビドラマではあんまりないよね(たぶん)。

 

新作映画の資金集めというのは周知の事実ですが、それだけでなくアニメという人気が限定されるジャンルは劇場にどれくらい人が入るか予測が付きにくく、新作映画の公開規模を広げる為の布石として総集編を公開する、みたいな側面もあるらしい。

 

とまあ映画業界のお話はこんくらいにしといて、とにかくアニメ業界に死ぬほど多い総集編映画

これに関して僕は否定派、という訳ではないが正直見に行こうと思ったことはほとんどない。今まで数多くのアニメにハマってきたが、総集編映画を観に行ったのはまどかマギカくらいだ。観てたアニメの総集編映画が発表されたのを見ても大体「ふーーん、まあ行かんけど」と思ってる。

 

でもスタァライトは違った。ロンド・ロンド・ロンド(曲の方)が凄く好きなので予告でそれが流れただけで涙腺がちぎれた、というのはあるが、重要キャラクター「大場なな」を主役に据えた予告(とタイトル)があたかも新作のような凄みを放っていた。

ちなみに僕は大場なな推しなので単純にそれも大きい。

 

そんなこんなで総集編映画がこんなに待ち遠しいのはまさに「こんなの初めて」で、やっと観に行けたのであった。

 

僕が観るスタァライトという作品の中心には常に大場なな、ループする彼女がいる。

もちろん最終的には華恋とひかりという二人に向かって物語は収束していくのだが、1話でドハマリしたこの作品が僕にとって10年に1本レベルの作品になったのは衝撃の7話があったからだ。

 

正直アニメ作品においてループものというのは特に目新しいものではない。

が、まさかこの作品にそういうSF要素が入ってくるとは夢にも思っていなかった。テレビ放送当時は観て叫んだ記憶がある。

目新しいものではない、とか上から目線で書いておきながら僕はループものが好きだ。もう死ぬほど好きだ。

 

アニメではうる星やつらビューティフル・ドリーマー涼宮ハルヒの憂鬱魔法少女まどかマギカなど、映画でもALL NEED IS KILL(原作は漫画)など、大好きだしループに限らず「時間」を扱った作品が本当に好きだ。

 

大場なな推しだから彼女中心に物語を観ているのではなく、ループする彼女に魅せられて推しになったのだ。

映画ではカットされていたが、3話で「裏方も兼任する」と言い出した彼女を見て「あー、この娘はきっと役者を挫折して裏方を選んだんだろうな。この娘のレヴューは挫折と葛藤にまみれた最高の回になるだろう」と思って、大場なな当番回が待ち遠しかった。だが、

 

予想は全部外れた。

 

まさか彼女が最強で、一年間をループしてる!!!???この衝撃はかなりのものだった。視聴者にとって最も身近なキャラクターのひとりだと思っていた彼女は遥か地平にいた。

地平に、いたのだが。それでもやはり僕にとって一番身近なキャラクターだったのだ。

 

僕は凄く保守的な人間だ。音楽で生きていくという安定性の欠片もない世界にいるが、「変化」というものが凄く苦手だ。

小さな世界に閉じこもっていたい、と思ってしまう。

 

これも映画ではカットされていたが、2年進級時にクラスメイト2人が役者の道に挫折して退学したことを知ったなながショックを受けるシーンがある。それがループを引き起こす要因のひとつになったようなので、できればこのシーンは映画でも見たかった。

最高の瞬間だった第99回スタァライトにもう一度会うため、自分の大好きな「舞台」という場所で傷つき挫折するものを無くすため、彼女は自分と周りの人間を絶望のない幸せな箱庭に閉じ込めた。

 

僕は感情移入する。そんな彼女に。前向きに頑張る愛城華恋でもなく、ロンドンで大変な目にあってもなお前を向こうとする神楽ひかりでもなく、大場ななに。どうしようもなく感情移入するのだ。

 

円環から出ようとする華恋に「ダメ!」というななに共感する。

 

テレビアニメでは華恋が歌っていた星々の絆のラスト「繋がったの星の絆いつまでも守るよ」が劇場版ではななパートになっていた。

敗北して途切れた再演を目の前にこの歌詞を歌うって……タオル持って行っててよかったよ。涙なしに見られなかった。

 

とりあえず大好きな大場ななはこれにて退場。

 

そのあと純那の前でななが泣くシーンがありましたが、ここのBGMがロンド・ロンド・ロンドから変更になってました。

曲が好きなので「何で変えるんだよ!」と思いましたが、変更されたのは新規曲かな?サントラはあまり聞いてないのでもしかしたら既存曲かもしれませんが、蛍の光」のオマージュのように聞こえました(あやふやな記憶。もしかしたらぜんぜん違うかも(笑))。

 蛍の光は日本では卒業とか何かの「終わり」で使われる曲だし、海外では新年で演奏されることも多かったはず。ループの終わりと新しい場所への移行をBGMが提示しているように聞こえました。まあこれも全く的外れかもしれませんが(笑)。

 

↑訂正:蛍の光じゃなくて仰げば尊しでしたね(笑)。まあ効果的には近いものがあるので蛍の光の解説はこのまま置いときます。

 

とまあお硬い話は一旦置いといて、レヴュー曲の話。

 

総集編映画で新規カット追加というのはよくあるお話ですが、レヴュー曲にアレンジが加わってるというのには驚いた。

こういう遊び心からスタッフの作品への愛、本気度が感じられて良かった。

特にStar Diamondは曲そのものの変更があるとは思わなかったので、泣いた。うん、泣いた。

 

 そして運命の舞台の再生産。ここ、僕がとんでもなく好きなところなんです。

 

 舞台装置

約束タワーブリッジ

 

東京タワーが横向きに塔をぶち抜いてこのテロップが出た瞬間、このアニメは神になりました。

この無茶苦茶な展開が最高だったし、やっぱりこういうテロップが好きだ。

古川監督は幾原監督の弟子筋だが、影響を受けた監督として庵野秀明をあげている。

庵野監督のテロップ演出も岡本喜八からきてるのは有名ですが、まあそういうエヴァを感じさせる雰囲気、演出は全て僕に刺さる。

 

アニメでも映画でもそうだが、観る時に気になるのは「リアリティ」だ。

地下で行われるアレコレを見ているとリアリティがあるとはとても思えないが、リアリティとはそういうことではない。

作品内で起こる非リアル=ウソをどれだけ視聴者に信じさせる事ができるか。これが重要。これをさせてくれない作品は自分の中で見る価値がなくなってしまう。

スタァライトは演出力でそれを信じさせてしまう。それは幾原監督もそうだと思う。

というか、細かいことはどうでも良くなってしまうのかもしれない(笑)。

 

そんなキリン並に首を長くして待っていた約束タワーブリッジシーンが終わり、大団円。

後はエンディングで流れるであろう再生讃美曲を待つモードになってたところに最後の”アレ”がやってきた。

 

血塗れで倒れる舞台少女たち。

 

えっ、なに?進撃の巨人みたいなことやめてくれません?(笑)

これがどういうことなのか、また大場ななの物語が始まるのか、そういう予想はとりあえずやめておいて、このシーンから感じたことを。

 

少女☆歌劇レヴュースタァライトという作品は前回のブログでも書いたように、当たったら死ぬんじゃないかという武器で本気で戦う。

だが今まで一度も血が流れたことはない(細かいところまでは把握できてないが概ねそうだと思う)。

レヴューとは「舞台少女としての自分を賭けた戦い」であり、それを命の代わりとしていると思う。

 

レヴューにおいて血が流れないのは、表現として痛々しくならないようにという訳ではなく、血を流す必要がそもそもないからなのだ。

 

しかしそれをいきなり裏切ってきた。あれが現実的な表現なのか、イメージ表現なのか分からないが、今まで血を見てなかった僕たちだからあのシーンに、より衝撃を受けたんだろう。

 

そして衝撃と同時に、彼女たちに罪悪感を覚えた

 

キリン=観客=視聴者というのは誰もが言っている事だとは思う。

視聴者(ファン)が大好きな作品に望むことは、「続編」だ。大好きな彼女たちの新しい物語を観たい。そう思っているし、実際そうなった。この総集編、そして新作映画の発表がなされたときは本当に嬉しかったし待ち遠しかった。

 

そして視聴者が望む「続編」は、登場人物たちを間違いなく不幸にする。

ストーリーは登場人物の不幸を原動力に進むからだ。このスタァライトもテレビアニメではハッピーエンドで終わるが、ハッピーエンドで終わるためには必ず不幸な状況が必要になる。「ハッピー」というのは相対化されたものだから。

 

最初から最後までハッピーな世界に物語的推進力はないのだ。

 

僕たちは新作を望んだ。そして僕たちの望みは叶った。

結果、僕たちは彼女たちを血まみれにしたのだ。

 

こんな罪を負いながらも、新作映画が公開されたらまたウキウキした気分で劇場まで足を運ぶだろう。そして泣いたり笑ったりしながら彼女たちの不幸を消費する。

 

キリンは言ってくれるだろう。

 

「分かります」と。

『少女☆歌劇レヴュースタァライト』との出会い

劇場版再生産総集編「少女歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」

 

が公開になった。早速(と言う割には公開二日遅れ)観に行ってきたので、当然のことながら感想を書かなければならない(必須)。

映画の内容に触れる前にスタァライトとの出会いを書いていこうと思うが、ラブライブ!フェスの感想を書こうとしたときも出会いのお話だけで1回分になってしまったので今回も映画の内容まで達さない可能性、大。

 

というこうとを頭に入れておいてもらって、まずは出会いのお話。

 

2018年7月、テレビアニメ「少女☆歌劇レヴュースタァライトが始まった。

スタァライトはメディアミックス作品。ミュージカルが先行して上演されていたので、その存在はもちろん知っていた。 ラブライバーとしては三森すずこ、佐藤日向が同じグループにいるということで気になるのは当然。

 

だが「舞台」というものにそもそもあまり興味のない僕はスルーし続けていた。そんな中迎えた2018年7月。

アニメスタートが決まったものの僕の中で「演劇」をテーマにした作品というのは、『主人公がネチネチしたイジメにあったりして観るのが疲れる』というすごい偏見(笑)、があった。ガラスの仮面の影響だと思う(いや、ガラスの仮面もちゃんと観たことないけど…)。

 

まあそんな偏見で見ようかどうかは迷うところだったが、ラブライブ!とは別にもうひとつくらいどっぷりハマれる作品に出会いたいと思っていて、舞台少女のキラメキに誘われるように自分からその沼に浸かっていったのであった。

 

とはいえ!しょーもない内容ならすぐに切るからな! と、半ばケンカ腰でテレビと向かいあった第1話。

メインキャラクターの人となり、聖翔音楽学園という舞台の説明がなされたぬるい日常パートに特に惹きつけられる場所はなく、「あーこんな感じね」という感想。

このままでは1話切りしてしまうぞ、と思っていたら…… 残り5分、凄いことが起きた。

 

学園地下に突如現れたエヴァとかでないとありえない巨大空間。東京タワー。人語を喋るリアルキリン。当たったら死ぬだろうとツッコミたくなる、おそらく本物の武器での少女たちの戦い。その現実を誰も疑問視しない世界観。

え、なにこれ。なにこれ。思ってた内容と違う!演劇のお話じゃないの?役者を夢見る少女たちが学校で切磋琢磨するお話じゃなかったの?

 

CONFUSION!

 

混乱。である。混乱のさなか、ありえない程の高所から平然と飛び降りた主人公にかぶさる、その、文字。

 

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……やられた。何かがガツーン!!ときた。意味なんて分からない。説明なんて全くできない。そして始まる変身シーン(所謂バンクシーンというやつ)。

この瞬間、主人公、愛城華恋の再生産に僕も巻き込まれたのであった。それからの展開は正直あまりどうでも良かった。僕はもうこの世界に入り込んでしまったのだから。この作品は面白いのか?と値踏みする必要はもうなくなってしまった。

 

そしてそのままエンディングへ。僕の衝撃はまだ終わらない。

 

1話エンディングテーマは2話以降オープニングテーマとなる「星のダイアローグ」

だった。これまたこの曲の始まりがすごく良かった!

ついさっき「値踏みする必要はもうなくなった」と書いたばかりだが、この素晴らしい曲を予感させるイントロとAメロが逆に値踏みする気持ちを復活させてしまった。

楽曲、特に歌モノで重要なのはもちろんサビだが、本当にいい曲とういうのはすべからくAメロが素晴らしい。

 

今のようにABサビという曲構成ではなく、AAB(サビ)Aという曲構成が主流だった頃は、Aメロの存在感で曲が成り立っていた。

例えば、魔女の宅急便のオープニング「ルージュの伝言」を今、思い浮かべてみてほしい。浮かんだのは「あのひとのママに会うために」だったでしょう?

これはAメロなんですよ。今は昔と比べAメロの存在感が希薄になってしまったように感じるが、それ分Aメロがいい曲にはグッと心を掴まれる。

 

星のダイアローグはまさにそうだった。Aメロが凄く良い!だがその分、「裏切るなよ、この良さをBメロやサビで裏切るなよ」とこの曲を値踏みするモードに入ってしまった。逆に「この曲が本当に良ければ僕はこのレヴュースタァライトというアニメに全力を注ぐ!」と勝手に宣言した。

 

そして星のダイアローグは、少女☆歌劇レヴュースタァライトという作品は、僕の2回目の「値踏みモード」を破壊した。

 

拍子が変わるBメロ「なにっ!」、拍子がもとに戻って更にテンポのあがるサビ「なにいっ!」、サビの力強い歌詞と最高のメロディー!「なにいいいいっ!!!」

 

……完敗。即落ちでした。

 

ここまできたら、最早チョロい存在、僕。まんまとスタァライトされちゃったのである。

 

これが、僕と「少女☆歌劇レヴュースタァライト」との出会いだった。

 

胸を刺す、衝撃を、浴びてしまった。

 

今まで死ぬほどアニメを観てきているが、こういう体験はあまりできない。

だが、こういう体験をさせてくれるからこそアニメはやめられない。シーンが地下に移ってから「これは幾原邦彦っぽいぞ」、と思っていたが調べてみたら古川監督は幾原監督の下で演出とかやっていたらしい。なんか全部腑に落ちた。

幾原監督にも中々ガツーーンとやられてきたからな。

 

このアニメ「スタァライト」1話の感想をどなたかのブログで読んだことがあるのだが、そこにあったある一文がずっと頭に残っている。

 

スタァライトとは、イデオロギーのない幾原邦彦作品である」

 

これには大いに同意させられたし、スタァライトという作品を自分なりに楽しむうえで重要なワードになっていった(ありがとう、どこかのブロガー様)。

 

先程、幾原監督にはガツーーンとやられてきた、と書いた。ガツーーンとやられたのは確かだし、特に輪るピングドラムはそこそこハマった。

でもしかし、その作品世界に浸かりきることはできなかったし、その後の作品でもそうだった。というより幾原作品と僕にはどんどん距離が開いていった。

 

それは先程の「イデオロギー」の部分が凄く大きい。幾原作品には監督の「言いたいこと」が強く内包されていて、ある種説教臭く感じてしまう。

僕はもういい歳の大人なので、アニメを観ながら説教などされたくないのだ。怒られたくない!(笑)

 

スタァライトにはそれがない。「ない」と言ってしまったら監督が何も考えていないと取られてしまいそうだが、そうではない。

古川監督は視聴者に押し付けないのだ。だから何も考えずに観られる。何も考えずに観て、結果、色々考えてしまうのだ。

 

と言うわけで僕は2018年7月、少女☆歌劇レヴュースタァライトに出会ってしまう。

そしてその時浴びた衝撃を第7話にてまた別の角度から浴びることになる。

 

それについては次、劇場版の感想にて語ろう。

2020年に観る「ラブ&ポップ」

久々のブログ。

 

仕事で「あの素晴らしい愛をもう一度」の譜面を作ることになったのでYoutubeで曲探し。

www.youtube.com

1971年発売のヒット曲なので知らない人も多いかもしれませんが、大好きなんです、僕。

 

とはいえ流石に僕も1971年リアルタイムと言うほどのおじさんではない。知ったのはこの映画がきっかけだった。

 

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ラブ&ポップ

 

エヴァンゲリオンの監督、庵野秀明の初実写監督作品として話題になった1998年の映画。そして主役の三輪明日美が歌うエンディングテーマが上記の「あの素晴しい愛をもう一度」のカバーだった。

 

97年、エヴァンゲリオンにどっぷりハマって、エヴァのことを考えない日はないくらいになった。それからエヴァとそれに関する全てのことにアンテナを張っていた僕にとって、庵野秀明の実写映画はもちろんチェックしないといけないものだった。

劇場まで足を運ぶことはなく(当時中学生だった)、後にレンタルビデオで観ることになるのだが、テーマソングのあの素晴しい愛をもう一度のCDは発売日に買いにいった。当時はまだ8cmシングルだった。

 

曲は歌詞を覚えるくらい繰り返し聞いたものの、映画は一度見たきりだった。

原作は村上龍の小説。当時社会問題になっていた女子高生の援助交際をテーマにした鮮烈な内容だったのでイメージとしては強く残っていたが、流石に一度しか見てないので細部までは殆ど覚えていなかった。

 

そんな中、あの素晴しい愛をもう一度の原曲を聞いた流れでYoutubeに落ちてたラブ&ポップのエンディング映像を発見。見てみることに。

 

www.youtube.com

 

5分43秒、目を離せなかった。ずっと、なんか胸がずっと、痛い。

四人の女子高生が渋谷川をバシャバシャと歩き続けるだけの映像。これが何故そんなに胸を打つのか、どうしても語りたくなったからこうして久しぶりにブログを書いたのに、言葉で説明ができない。語彙よどこへ……

やっぱり庵野秀明の映像って、アングルなのか色合いなのか何故か心をざわつかせる。

 

とにかく痛くざわついた胸を鎮める、というより更にざわつかせる為に約20年ぶりに本編を観ることに。

 

本編はエヴァや他のアニメ監督作品、最近のシン・ゴジラに至るまで使われている、庵野印な特殊アングルがこれでもかというくらい多様されいた。それを食傷気味に感じて評価を低くしている人もいて、まあそういう感想も分かる。

でも僕はそういう特殊なアングルが好きなので(単純)、最初から目を奪われた。

 

ざっくりいうと12万円の指輪を買うために援助交際をする女子高生の一日を追うというストーリー。

ストーリーは単純だが映像、音楽、多用されるモノローグ(主演の三輪明日美の拙い喋りが逆に良い)などから妙なリアリティが常に出ていて、”あの時代”に一瞬にして引き戻された。

 

これは90年代後半をリアルに生きていない世代に伝わるのか、自分がこんなにもエモーショナルな気持ちにさせられるのはただのノスタルジーなのか、それは分からない。

けど当時中高生だった自分には刺さらなかった(あまり見たときの思い出がないのでたぶんそうだったと思う)ものが、今こんなにも刺さるのかという衝撃が凄かった。

 

90年代後半は世紀末でノストラダムスの大予言(ノストラダムスの大予言 - Wikipedia)があったり、神戸の連続児童殺傷事件、地下鉄サリン事件阪神大震災、少年犯罪や援助交際が話題に登った時代だった。

そうやって世の中が劇的に変わっていく中、庵野秀明が描き出すものは「世界の終わり」が近づいているのか?みたいな時代の空気とリンクしていたように思える。

 

だからエヴァはあそこまでヒットしたんだろう。

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズはもちろん大好きで、コロナの影響で延期になってしまったシン・エヴァンゲリオンの公開も待ち遠しくて仕方ない。

だがこのラブ&ポップを観て、シン・ゴジラを思い出してみて思った。エヴァ新劇場版シリーズには”庵野秀明っぽさ"があまりないと。

圧倒的な映像センスは相変わらず感じるが、自身は総監督に落ち着き、摩砂雪

鶴巻和哉といったガイナックス時代からの盟友に監督を任せている。そうすることによって新劇場版シリーズは過去の新世紀エヴァンゲリオンに比べて随分ポップなものになったと思う。それは単純に庵野秀明が大人になったから、というだけなのかもしれないが、どちらかというと複数の監督が入ることにより「庵野秀明」という味が薄れてしまったような印象が強い。

 

新劇場版について今までそんなこを考えたことはなかったが、ラブ&ポップを観てふとそんなことを思ったのであった。

たぶんシン・エヴァンゲリオンがどんな終わり方をしようとも僕は好意的に受け止めると思う(ちなみに僕はエヴァQも肯定派)。だだ願うことなら、胸焼けするくらいの庵野秀明味の料理が食べたい。

春はバケモノ~其ノ弐 FF7と僕~

自粛期間中にやっていたもの、その弐。

 

 

FINAL FANTASY Ⅶ REMAKE

 

 

僕はFF7リアルタイム世代だ。当時はプレイステーションセガサターンという二大次世代ハードが同時期に発売されて、どっちを買うかみんな迷っていた。

そんな時、「次作、ファイナルファンタジー7プレイステーションで発売」という大々的な報道があった。「バイバイ任天堂」みたいな見出しの記事が衝撃だった記憶がある。

 

その瞬間、僕ら子供の迷いは消え去った。

 

 

『拝啓プレイステーション様、僕たち子供はあなたにお金と時間を捧げることを誓います』

 

 

そう、僕たち子供はFFの為にプレステ陣営に下ったのだ。そこからセガサターンバーチャファイターサクラ大戦をやりたいやつだけが持っているというニッチなハードになっていく事になるがそれはまた別のお話。

 

そして待ちに待った発売日。同じく発売日に買った友達とどっちが速くクリアできるか競った。当時はネットで簡単に攻略を見れたりしなかったので、ヒュージマテリアをひとつ取り逃して絶望したりした。いや、現在の環境が羨ましい。

 

FF7が僕に与えてくれたもの。それは素晴らしいストーリーに映像、というのは前フリで、

 

ティファ・ロックハートとの出会い。

 

だ。だってあのおっぱ……いやほんと可愛いんだよティファ。

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このメニュー画面のアイコンだけでも一日中眺めてられたもん。

FF7がもたらした衝撃、それはこれまでチュン・リー一強だったゲーム界にティファ・ロックハートという新たなセックスシンボルを登場させた事だった(適当)。

そう、最早マリリン・モンローなのだ、ティファは(適当)。

 

そしてFF7、ティファ人気はそのままに23年後の今年、リメイクが発売された。

 

23年後の僕は昔と違ってTVゲームはほとんどやらないし、PS4もメディアプレイヤーとして便利だから持ってるに過ぎなかった。FF7とはいえ今更TVゲームを買って本当にちゃんとプレイするのだろうか?

と、自分に疑問を抱きつつ迎えた発売日。今やAmazonがゲームをポストに放り込んでくれる時代。23年前じゃ考えられませんでした。

 

ゲームオブスローンズに夢中だったので見終わるまでは一日一時間程度しかしてなかったが、見終わってからは本領発揮。

自分への不安が嘘のようにドハマリ。昔と変わっててめんどくせえと思ってた戦闘システムが面白すぎてやめられないとまらない。気付いたら全トロフィー獲得して完全制覇していた。いや、最高だった。最高だった。最高だった、

 

 

ティファーー!!!

 

 

てかなんだこれ。エアリスもめちゃ可愛い。エアリス派の血が1ミリリットルも流れてない僕ですらため息がでる可愛さの嵐。

なんだこれなんだこれなんだこれ。いや、これ、

 

ギャルゲーじゃん。

 

FF7リメイクのリメイク度合いがすごい。全女キャラが主人公クラウドめがけて猛アタックしてくる。変えろ。もうタイトル変えろ。

 

えふえふ!~せぶん・りめいく~

 

にしろ。とにかく最高だ。

 

はやく出ないかな。待ち遠しいな。えふえふ!の続編。

春はバケモノ~其ノ壱~

 

一念発起。

 

みたいな気持ちでブログ始めたが、書きたい事がふつふつと湧き上がってこないと手を付けまい、と思っていたらまあブログという空箱が存在しているだけになっていたこの数ヶ月。

 

高海千歌のスカートがあーだこーだ言ってた頃がこの世の春だったのかというくらい、とんでもない世界になってしまいましたね。

 

音楽生活の集大成じゃねえかってくらいの勢いで立ち上げた「ライブハウスでラブライブ!楽曲オンリーで生バンドイベントをやる」という夢の企画も本番ギリギリで延期に。

それだけじゃ終わらず、緊急事態宣言で4月頭からずーーーーーーーーーーーーーーっと家にいます。

 

コロナ。コロス。

 

と、ステイステイステイステイホームの稲岡ですが、この一ヶ月あまり何をやっていたのか。

 

 

………………何をやっていたのだろう。思い出がほとんど、ない。

 

 

ひねり出すと、大きく、ふたつ。

 

◎ゲームオブスローンズ

◎FF7REMAKE

 

かな。

 

知らない人の為に言うとゲームオブスローンズは海外ドラマ。架空の大陸を舞台に(イギリス辺りがモチーフ)剣、ドラゴンなんかが出てくる国取り合戦の中で巻き起こる人間ドラマって感じ。

前から見てみたかったんだが、シーズン8まであるのをイチから見るというエネルギーがなかったことと、中世的な世界観のファンタジーがそもそもあまり好きじゃないこと、このふたつの理由で見てなかった。

 

そもそも好きじゃない世界観の作品を何故見たいねん、というツッコミはやめて!

だって世界中が面白いって言ってたじゃん。みんな言ってんじゃん。

 

ということで、ステイホームが始まった初日に早速見始めた。そしたら、

 

 

お、おもしれえじゃん……

 

 

まあ前述した通り好きな世界観ではないので、同じ海外ドラマならウォーキング・デッドの方がハマり具合としては深かったですが、シーズン8までストーリーが一貫してて目が離せなかった。

ゲームオブスローンズを一言で言うなら、

 

カタルシスの渇望」

 

だった。いや、ごめん、最大限にカッコつけた。文字サイズもカッコつけたぶん最大限。カッコつけたけどホンマにそうなんです。

要するに、すげームカつく奴がいるからそいつが殺されるとこまで見るのやめられねえ!という原動力。それが見るのをやめさせない。

実際それを原動力に僕は最終章のシーズン8、総時間約80時間を一週間あまりで見きってしまった。

 

それはそれは完成されたお話しで、めっちゃ誰かと共有したい!喋りたい!と思ったんですが……

 

 

誰も、みてねぇ。

 

 

誰もゲームオブスローンズみてねぇ!

 

 

えっ、おかしいやん。みんな面白いって言ってるやん。世界中で人気やん。他の映画見ててもジョークでゲームオブスローンズの名前出てきたりするくらいやん。高槻かなこも好きって言ってたやん。これ見たら色んな人と楽しくトークできるって思ってたやん。ウォーキング・デッドの時はそうやったやん。どこいった?ゲームオブスローンズ見てる人、急に世界から消えたんか?コロナのせいか?おかしいおかしい。

 

せっかく80時間かけて見たものを、それもガッツリ胸に響いたものを誰とも共有できへんのかーーーい!!

 

 

絶望した。ゲームオブスローンズにも絶望して死んでいくキャラクターが沢山いたが、僕もそれの一部になれというのか。

 

頼む、見てくれ。お願いだ、これ読んだ人は全員見てくれ。ゲームオブスローンズを。

そして僕と語り合おう。

 

これが僕の緊急事態宣言。次はFF7リメイクの話。