シン・エヴァンゲリオン劇場版とワタシ
時に、西暦2021年3月14日
公開より6日遅れて、やっと、行ってきました。
シン・エヴァンゲリオン劇場版という名前の「新世紀エヴァンゲリオン卒業式」に。
式典の時間は155分。これは帰ってきてから失敗したなぁと反省している点ですが、ネクタイ締めてジャケットで行くべきでした。卒業式なんだもんね。反省。
とにかく、これまで新劇場版を共に観てきた友人たちと3人で映画館へ。
冒頭12分は既に観ている(30回程)ので僕にとってはそこからが本当の始まり。
あ、もちろんネタバレはありです。考察など高尚なことはできません。24年分の感想をひたすら語るだけですのでよろしくです。
前述した冒頭部分は2019年7月6日にフランスのイベントで上映され、その様子は日本各地の街頭特設スクリーンにて中継された。
混雑を避けるため場所の発表は当日となっており、僕は当日の予定を急遽変更して大阪会場(グランフロント大阪前)まで走った。
高橋洋子の小一時間に及ぶライブを見せられ(会場にいるほぼ全員がまだかよ!と思っていただろう(笑))、やっと上映開始。
冒頭はパリ、ユーロネルフ復旧作戦のとこですね。スタート直後から大興奮のシーンが続き僕は口元に手を当ててずっと震えていました。
前回も書いたように新劇のアバンの盛り上げ方はやはりとてつもない。
何が起こってるのかもよく分からないながらも、封印柱が作動してパリの街が復元されたシーンには「おぉ……」と声が上がっていました。こういう反応は映画館では中々起こらないから楽しかった。
この冒頭映像公開前に庵野秀明監督からのビデオメッセージがあり、そこで「僕はエッフェル塔が大好きでずっと憧れていて……」みたいな話があったんですよね。
そしたら、おい、
ぶち折っとるやないかい。
おいおい、
ねじねじしとるやないかい。
ここで、1990年に庵野秀明が監督を担当したTVアニメ「ふしぎの海のナディア」を観てみましょう。
30年前にもぶち折っとるやないかい。大好きなエッフェル塔を。
庵野秀明の愛情表現というのは破壊で表現されるのですね!
というツッコミなどしながら、冒頭部分は進んでいきました。まあ、色んなことを置いておいたとしても、やはりエヴァの戦闘シーンは圧倒的にカッコいい。
そして冒頭シーンが終わり、遂に未見のシーンへ。
シンジはサードインパクト後の世界でなんとか生きる人々の村にたどり着いてそこで生活するシーンが続きます(半分くらいは無気力でしたが)。
このシーンは全く予想外で驚きました。
155分あるとはいえ、そこはエヴァ。とんでもない戦闘シーンばっかりが続くのか、となんとなく殺伐としたイメージをもってましたが、意外や意外。
大人になったトウジやケンスケの登場にも驚きました。
大人トウジって、時をかける少女の功介感、ない?
ほら。まあ貞本義行なので当然っちゃ当然ですが。
閑話休題。
90年代、まさにエヴァを起点として「セカイ系」という言葉が生まれた。
〈セカイ系〉
セカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」(wikiより抜粋)
エヴァ以降まさにこういう「セカイ系」な作品が巷に溢れ、僕もその多数を摂取してきたし、セカイ系作品は僕の大好物だった。新海誠作品も大好きだし。
セカイ系の代表、スター選手だった昔のエヴァ。だが今回は少し違うと思っていた。
それがこのシーンで明確になったような気がした。
エヴァ序、TVアニメでは第2話にて第三新東京市を見下ろしながらミサトがシンジに「あなたが守った街」と言うシーンがある。
確かにシンジはエヴァに乗って使徒と戦い、街を守った。けど、街って?街って誰のことだろう。「街」は守ってるけど「人」は?エヴァが、シンジが守っている「人」がどんな人達なのか、その描写はほとんどない。出てくるのはシンジのクラスメイトくらいで、それも名前のわかる「トウジ、ケンスケ、ヒカリ」くらいだ。
主人公が生活している場所の社会活動がほとんど分からない。
これこそがセカイ系と言われるひとつの要因だ。
シン・エヴァではそこから抜け出して、リアルに生きる人々を描写していた。
それによってシンジが守っていた「人」、壊してしまった「生活」などが改めて、リアルに感じられた。
これは庵野秀明が歳を取った、ということなんだろうか、と色々考えることが出来たシーンだった。
ただひとつ、そんなことがどうでも良くなるくらい強く想った事があった。
相田ケンスケに、なりたい。
I、wanna、be、KENSUKE AIDA.
相田ケンスケになって、アスカと一緒に暮らしたい。
相田ケンスケになって、アスカに「ケンケン」と特別なあだ名で呼ばれたい。
相田ケンスケになって、裸のアスカにバスタオルをかけてやりたい。
相田ケンス…………
ハッ!!
すみません。155分で一番リビドーが出た瞬間だった。
なんだよ相田、役割がレベルアップしすぎだぜ……。
その後、徐々に感情を得てその後LCLに還ってしまうレイに涙させられ(この手法何度目だよ!)、シンジとアスカはヴンダーへ。
ちなみにこの時ケンスケが撮ってたビデオカメラに「残1時間22分」と、録画できる時間の残りが表示されてましたが、これって映画の残り上映時間だったりするのかな?と思って観てました。確認は出来ませんでしたが。
そして遂にラストバトルへ。
ここからはもうノンストップでしたね。
出撃前のアスカがシンジに言います。
「あの時はアンタの事好きだったと思う。でも私が先に大人になっちゃった」
アスカァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!
僕は大人になってないからまだキミのことが大好きです!!!!
ラーゼフォンみたいなこというな!!でもラーゼフォンはセカイ系なので先に大人になっちゃったヒロインとちゃんと結ばれるんだよ。でももうエヴァはセカイ系じゃない。だからみんなちゃんと大人になるんだ。
「僕を好きだったって言ってくれてありがとう。僕もアスカが好きだったんだと思う」
このシンジの返答よ……。なんだよさっきまでウジウジしてたくせに。
もうこの辺から涙が止まらない。
「まごころを、君に」の中でアスカがシンジに言うセリフはこう。
「アンタが全部私のものにならないのなら、私、なにもいらない」
なんといういびつな告白。ここから24年経つ(劇中でいうと14年か)とこんなに発言が変わるのか……。
エヴァの卒業式に来たのに、式が終わる前にいきなり好きな娘にフラれた……。
その寂しさに胸が痛んだ。
そしてヴィレとネルフの戦いが遂に始まり、激しさを増していく。
Qから既にそうだったけど、最早戦うのは世界の命運を背負わされた少年少女だけではない。大人もちゃんと戦うのだ。文字通り。こういうところもセカイ系からの離脱に思えた。
まあ事細かにストーリーを追っていっても仕方ないのでちょっとと飛ばしてラスト辺りへ。
ゲンドウが出てきた辺りからリツコがゲンドウを撃つ、ミサトが撃たれるくらいはありそうだなと考えていたので予想通りでした。全く知らない展開と思っていたらちょこちょこ知ってるシーンが混ざってくる。
卒業式自体は初めてだけど、式の最中は昔の思い出を次々と思い返すよね。
まさにそういう感覚だった。
そしてシンジとゲンドウの対決。
エヴァを語る上で「父と子の物語」だとはよく言われるし実際そうだけど、思い返してみれば旧劇場版でシンジとゲンドウはちゃんとむきあっていない。
ゲンドウ「すまなかったな、シンジ」
ってシーンがあるからなんとなく決着がついたように観てたけど、いやこの関係性全く解決してねぇ!
そしてまさかのゲンドウの独白。ゲンドウにはなんだかんだ全部言ってほしくないな、という気持ちもあったんですが、ここまでの流れで「完全にエヴァを終わらせようとしてる感」が出まくってて、それがこのシーンでより確定的に感じました。
対峙する初号機(シンジ)と13号機(ゲンドウ)。
戦っている場所が書き割りになったくらいから、
きたきたきたきたきたきた、
庵野秀明がきた!!!!!
って感じで僕の感情も着地できなくなってきました。
この辺りからもうずっと泣いてます。何故かは分からない。
そしてそして、シンジとゲンドウの対話シーン。
この曲がBGMで流れるんですが、これは旧劇でも流れるんですよ。
どこかと言うと、シンジがユイと最後に話すシーン。
この曲にのせて旧劇ではユイに、新劇ではゲンドウに別れを告げるんですよね。シンジは。
そして旧劇ではこの曲にのせて、ユイと冬月が話すシーンがあります。
ユイ
「ヒトはこの星でしか生きられません。でも、エヴァは無限に生きていられます。
その中に宿る、人の心とともに。たとえ50億年たっても残ります」
冬月
「ヒトの生きた証は、永遠に残るか」
これが、1997年時点での映画のラストです。エヴァは、永遠に残る。
自分が作ったエヴァンゲリオンという作品が永遠に残る。これが庵野秀明のあの時点での宣言でした。
(ちなみに僕はこのシーンが凄く怖くてここだけはあんまり見返したくないし、この曲も聞くの怖いんだよな……。)
そして24年という月日が流れ、今のところその通りになっている。
未だにみんなエヴァに熱中していて、僕もその中のひとりだ。
しかし、24年前と同じ曲が流れるシーンで今回シンジは父親と別れ、すべてのエヴァンゲリオンと別れることを選んだ。
24年前、永遠に残そうとしたエヴァを、シンジは、庵野秀明は全て、消そうと決めたのだ。
そして、レイと別れ、アスカと別れ……
ってちょい待て。
このまま熱く最後まで行こうと思ったけど、待て。
アスカの頭を撫でたのが、ケンスケ?
お、お前が本命なのか?アスカの?
嘘だろ?他に関係性あるキャラいなかっただけだよな?
だってあれだぞ、あいつTVアニメ第9話でアスカの盗撮写真学校で売ってたやつだぞ?
アスカ、考え直してくれ頼む!!
卒業式前に好きな娘にフラれたと思ったらネトられだった件!!!!
悲しい。旧劇のように今回も人一倍がんばってたアスカには幸せになって欲しいけど、これは辛い……。
とまあ、またリビドーに邪魔されましたが、続きです。
旧劇ラストと同じ砂浜で二人になるシンジとアスカ。
この辺の昔の場面の織り交ぜ方はほんとやばくて、卒業生の僕には耐えられませんでした。ほんとに涙が止まらん。
僕は前回のブログで映画のラストは「さらばすべてのエヴァンゲリオン!」とみんなで叫んで終わる、と書きましたが、あながち間違ってもなかったなと。
このセリフって映画のキャッチコピーでしかなくて、正直劇中では出てこないと思ってたんですよ。
でもこの言葉をシンジははっきりと言った。
ほんとにほんとにほんとにほんとにほんとーーーーーーーーーーーーに、
エヴァは終わるんだ。
そう思ったら拭いても拭いても涙が止まらない。なんならこれ書いてる今も思い出して泣いてます。ガチで。
そしてセカイは正常に戻り現在?へ。
大人になってる碇シンジ。迎えに来るマリ(ここはアスカが良かったな……)。
ラストシーンについて書く前に、エヴァという作品の終わり方について先に書きます。
この終わり方は漫画版に近いものがあると思いました。でも正直漫画を読んだ時はあまりにキレイに終わりすぎてエヴァ以外の作品であれば完璧な最終回だけど「これはエヴァじゃない」と思いました。
結果的にその漫画版のエヴァに近い終わりになった訳ですが、この155分という時間で圧倒的なものを見せられてきたその終わりがこれだと思うと、漫画版のときのような気持ちには一切なりませんでした。
この最終回を素直に、完璧に受け入れられた。
で、大人シンジの声、ですが。
でしたね。
いや、どれだけの大役持ってくんだよこの人は!!
宮崎駿も!
細田守も!
新海誠も!
そして庵野秀明までも!
みんな神木くんに夢中かよ!!
いや、ほんと凄いよ。エヴァのラストだけかっさらっていくって、ほんとに凄いよ。
とまあ声優についても衝撃がありましたね。
そして、ほんとにほんとにラスト。
宇多田ヒカルのOne Last Kissが流れ出した瞬間、僕の涙腺はもう何度目か分からない決壊をしました。
そう、この曲は、卒業生退場の合図なんですから。
シンジとマリは手を取り合って駅から出ていく。
そしてその世界は、実写だった。
現実の世界に、シンジ(庵野)は歩みだした。
この、現実の、実写の街を走るシンジを観た時、僕の涙はもう一段あがった。
友達と来ているし人がいっぱいいる映画館なので、泣いてても出来るだけこっそりバレないように、とは思ってるんですが、最後はもう我慢すら出来なくて、嗚咽混じりで肩を震わせながら泣きました。それこそ「まごころを、君に」のラストでアスカの上で号泣するシンジばりにです。
単純に僕は超がつくほど涙もろいので泣くだろうとは思ってましたが、自分でももう説明が付かないほどに涙が、嗚咽が止まりませんでした。
そのままエンディングロールになって少しおさまるかと思ったんですが、一番上の「庵野秀明」の文字を観た途端またひとつ涙のレベルが上ってしまい、One Last Kissが流れ終わるくらいまではずっと泣いてました。
エヴァが終わる。
エヴァが終わる。
エヴァが終わる。
24年間、ずっっと自分と供にいたエヴァが、終わったんだ。
中学、高校は3年。大学は4年。小学校でも6年だ。
でも僕は24年間ずっとエヴァといた。それが、終わった。
映画終了後「いやー、流石にあんな泣くとは思わんかった!」と言ったら、横に座ってた友人に「いや、引くわ!」と言われました(笑)。
どうやら横の人を引かせるくらいに泣いてたようですね!(当たり前か)
これが1997年にエヴァと出会い、2021年の今日、エヴァと別れた僕の物語です。
これまでのブログと違い、観てきた直後に思い出すままひたすら書いたので、かなり乱文だと思いますが、熱量優先で書ききってしまいました。
たぶんこの後も書きたかったこととか出てくるかもしれませんが、それはまたその時に。
そしてこの卒業式が普通と少し違うところは、
劇場に行けばまた式に参加出来る。
ということなのだから。きっとあと何回か行くと思う。
でもとりあえず今日言っておこう。
さよなら、シンジ。
さよなら、レイ。
さよなら、マリ。
さよなら、アスカ!!!!
さよなら、すべての、エヴァンゲリオン。
ほんとうに24年間、ありがとう。
卒業、
おめでとう。
(添付:卒業証書)
追記:主題歌「One Last Kiss」ベース弾いてみました。