劇場版再生産総集編 少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド
前回スタァライトとの出会いを書きなぐって、やっと劇場版の感想が書けます。
既にどっと疲れてますが、勢いで書こう。もちろんネタバレあり。
という訳で、今回の劇場版は総集編ですね。もしかして自分は再演中なのか?というくらい長い間アニメオタクをやっていると避けては通れない「総集編」という映画化。
アニメ業界以外では少ないんじゃないでしょうか。テレビドラマではあんまりないよね(たぶん)。
新作映画の資金集めというのは周知の事実ですが、それだけでなくアニメという人気が限定されるジャンルは劇場にどれくらい人が入るか予測が付きにくく、新作映画の公開規模を広げる為の布石として総集編を公開する、みたいな側面もあるらしい。
とまあ映画業界のお話はこんくらいにしといて、とにかくアニメ業界に死ぬほど多い総集編映画。
これに関して僕は否定派、という訳ではないが正直見に行こうと思ったことはほとんどない。今まで数多くのアニメにハマってきたが、総集編映画を観に行ったのはまどかマギカくらいだ。観てたアニメの総集編映画が発表されたのを見ても大体「ふーーん、まあ行かんけど」と思ってる。
でもスタァライトは違った。ロンド・ロンド・ロンド(曲の方)が凄く好きなので予告でそれが流れただけで涙腺がちぎれた、というのはあるが、重要キャラクター「大場なな」を主役に据えた予告(とタイトル)があたかも新作のような凄みを放っていた。
ちなみに僕は大場なな推しなので単純にそれも大きい。
そんなこんなで総集編映画がこんなに待ち遠しいのはまさに「こんなの初めて」で、やっと観に行けたのであった。
僕が観るスタァライトという作品の中心には常に大場なな、ループする彼女がいる。
もちろん最終的には華恋とひかりという二人に向かって物語は収束していくのだが、1話でドハマリしたこの作品が僕にとって10年に1本レベルの作品になったのは衝撃の7話があったからだ。
正直アニメ作品においてループものというのは特に目新しいものではない。
が、まさかこの作品にそういうSF要素が入ってくるとは夢にも思っていなかった。テレビ放送当時は観て叫んだ記憶がある。
目新しいものではない、とか上から目線で書いておきながら僕はループものが好きだ。もう死ぬほど好きだ。
アニメではうる星やつらビューティフル・ドリーマー、涼宮ハルヒの憂鬱、魔法少女まどかマギカなど、映画でもALL NEED IS KILL(原作は漫画)など、大好きだしループに限らず「時間」を扱った作品が本当に好きだ。
大場なな推しだから彼女中心に物語を観ているのではなく、ループする彼女に魅せられて推しになったのだ。
映画ではカットされていたが、3話で「裏方も兼任する」と言い出した彼女を見て「あー、この娘はきっと役者を挫折して裏方を選んだんだろうな。この娘のレヴューは挫折と葛藤にまみれた最高の回になるだろう」と思って、大場なな当番回が待ち遠しかった。だが、
予想は全部外れた。
まさか彼女が最強で、一年間をループしてる!!!???この衝撃はかなりのものだった。視聴者にとって最も身近なキャラクターのひとりだと思っていた彼女は遥か地平にいた。
地平に、いたのだが。それでもやはり僕にとって一番身近なキャラクターだったのだ。
僕は凄く保守的な人間だ。音楽で生きていくという安定性の欠片もない世界にいるが、「変化」というものが凄く苦手だ。
小さな世界に閉じこもっていたい、と思ってしまう。
これも映画ではカットされていたが、2年進級時にクラスメイト2人が役者の道に挫折して退学したことを知ったなながショックを受けるシーンがある。それがループを引き起こす要因のひとつになったようなので、できればこのシーンは映画でも見たかった。
最高の瞬間だった第99回スタァライトにもう一度会うため、自分の大好きな「舞台」という場所で傷つき挫折するものを無くすため、彼女は自分と周りの人間を絶望のない幸せな箱庭に閉じ込めた。
僕は感情移入する。そんな彼女に。前向きに頑張る愛城華恋でもなく、ロンドンで大変な目にあってもなお前を向こうとする神楽ひかりでもなく、大場ななに。どうしようもなく感情移入するのだ。
円環から出ようとする華恋に「ダメ!」というななに共感する。
テレビアニメでは華恋が歌っていた星々の絆のラスト「繋がったの星の絆いつまでも守るよ」が劇場版ではななパートになっていた。
敗北して途切れた再演を目の前にこの歌詞を歌うって……タオル持って行っててよかったよ。涙なしに見られなかった。
とりあえず大好きな大場ななはこれにて退場。
そのあと純那の前でななが泣くシーンがありましたが、ここのBGMがロンド・ロンド・ロンドから変更になってました。
曲が好きなので「何で変えるんだよ!」と思いましたが、変更されたのは新規曲かな?サントラはあまり聞いてないのでもしかしたら既存曲かもしれませんが、「蛍の光」のオマージュのように聞こえました(あやふやな記憶。もしかしたらぜんぜん違うかも(笑))。
蛍の光は日本では卒業とか何かの「終わり」で使われる曲だし、海外では新年で演奏されることも多かったはず。ループの終わりと新しい場所への移行をBGMが提示しているように聞こえました。まあこれも全く的外れかもしれませんが(笑)。
↑訂正:蛍の光じゃなくて「仰げば尊し」でしたね(笑)。まあ効果的には近いものがあるので蛍の光の解説はこのまま置いときます。
とまあお硬い話は一旦置いといて、レヴュー曲の話。
総集編映画で新規カット追加というのはよくあるお話ですが、レヴュー曲にアレンジが加わってるというのには驚いた。
こういう遊び心からスタッフの作品への愛、本気度が感じられて良かった。
特にStar Diamondは曲そのものの変更があるとは思わなかったので、泣いた。うん、泣いた。
そして運命の舞台の再生産。ここ、僕がとんでもなく好きなところなんです。
舞台装置
約束タワーブリッジ
東京タワーが横向きに塔をぶち抜いてこのテロップが出た瞬間、このアニメは神になりました。
この無茶苦茶な展開が最高だったし、やっぱりこういうテロップが好きだ。
古川監督は幾原監督の弟子筋だが、影響を受けた監督として庵野秀明をあげている。
庵野監督のテロップ演出も岡本喜八からきてるのは有名ですが、まあそういうエヴァを感じさせる雰囲気、演出は全て僕に刺さる。
アニメでも映画でもそうだが、観る時に気になるのは「リアリティ」だ。
地下で行われるアレコレを見ているとリアリティがあるとはとても思えないが、リアリティとはそういうことではない。
作品内で起こる非リアル=ウソをどれだけ視聴者に信じさせる事ができるか。これが重要。これをさせてくれない作品は自分の中で見る価値がなくなってしまう。
スタァライトは演出力でそれを信じさせてしまう。それは幾原監督もそうだと思う。
というか、細かいことはどうでも良くなってしまうのかもしれない(笑)。
そんなキリン並に首を長くして待っていた約束タワーブリッジシーンが終わり、大団円。
後はエンディングで流れるであろう再生讃美曲を待つモードになってたところに最後の”アレ”がやってきた。
血塗れで倒れる舞台少女たち。
えっ、なに?進撃の巨人みたいなことやめてくれません?(笑)
これがどういうことなのか、また大場ななの物語が始まるのか、そういう予想はとりあえずやめておいて、このシーンから感じたことを。
少女☆歌劇レヴュースタァライトという作品は前回のブログでも書いたように、当たったら死ぬんじゃないかという武器で本気で戦う。
だが今まで一度も血が流れたことはない(細かいところまでは把握できてないが概ねそうだと思う)。
レヴューとは「舞台少女としての自分を賭けた戦い」であり、それを命の代わりとしていると思う。
レヴューにおいて血が流れないのは、表現として痛々しくならないようにという訳ではなく、血を流す必要がそもそもないからなのだ。
しかしそれをいきなり裏切ってきた。あれが現実的な表現なのか、イメージ表現なのか分からないが、今まで血を見てなかった僕たちだからあのシーンに、より衝撃を受けたんだろう。
そして衝撃と同時に、彼女たちに罪悪感を覚えた。
キリン=観客=視聴者というのは誰もが言っている事だとは思う。
視聴者(ファン)が大好きな作品に望むことは、「続編」だ。大好きな彼女たちの新しい物語を観たい。そう思っているし、実際そうなった。この総集編、そして新作映画の発表がなされたときは本当に嬉しかったし待ち遠しかった。
そして視聴者が望む「続編」は、登場人物たちを間違いなく不幸にする。
ストーリーは登場人物の不幸を原動力に進むからだ。このスタァライトもテレビアニメではハッピーエンドで終わるが、ハッピーエンドで終わるためには必ず不幸な状況が必要になる。「ハッピー」というのは相対化されたものだから。
最初から最後までハッピーな世界に物語的推進力はないのだ。
僕たちは新作を望んだ。そして僕たちの望みは叶った。
結果、僕たちは彼女たちを血まみれにしたのだ。
こんな罪を負いながらも、新作映画が公開されたらまたウキウキした気分で劇場まで足を運ぶだろう。そして泣いたり笑ったりしながら彼女たちの不幸を消費する。
キリンは言ってくれるだろう。
「分かります」と。