新世紀エヴァンゲリオンとワタシ
時に西暦2021年。3月8日。
遂にシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開される。
当然僕は公開初日に劇場へ……と言いたいところだが、なんと、色々あって僕が観に行くのは3月14日になる。正直気が狂いそうだ。誰かキング・クリムゾンを使ってくれ。キング・クリムゾンの能力で3月8日~14日の6日間を消し飛ばしてくれ。
しょうがないので僕はこの6日間ネット、特にSNSから完全に姿を消してスタンドアローンで生きていこうと思う。
その前に、僕にとってエヴァがどういうものだったのか喋りまくろうと思う。だってもうすぐお別れなんだもん。エヴァと。
僕が「新世紀エヴァンゲリオン」と出会ったのは西暦1997年夏。当時碇シンジと同じ中学生だった。
世の中では今の鬼滅の刃のような空前のエヴァブームが訪れていて、今ほどアニメ、オタクなんてものが世に受け入れられていない中でほんとに信じられないほどのブームが起こっていた。
中学校の靴箱の上には誰が買ったのか分からないUCCコーヒーのエヴァ缶がズラッと並び、エヴァを見たことある人にもない人にもその存在感を放っていた。
だが、僕の住む地域ではテレビ東京系が映らず、TVシリーズは放送されていなかった。そんな事情もあり、ブームなのは知りつつも未視聴状態だった。
『エロいシーンあるよ、エヴァ。』
これまでどれだけエヴァエヴァと叫ぶ友人たちを見ても心が動かなかった、観る気のなかった僕の心を一気に動かした言葉だ。
今でもこの言葉を放った友人には感謝している。
97年の夏休み、僕は友人と奈良旅行に来ていた。そして帰りのバスが出る1時間前、この言葉を聞いた。
そこからの僕は速かった。近くの商店街の本屋さんに当時3巻までしか出ていなかった漫画を買いに行った。いや、買いに走った。
だが前述の通り当時は空前のエヴァブーム。ない。何軒本屋を巡っても置いてない。なんとか1巻だけを見つけて買ったが1巻にはエロいシーンなどはない。なんなんだ、騙しやがったな、どこがエロいんだ、エロいシーンをよこせ。
暴走状態だった。バスに乗り家に帰ったあと、その友人に3巻までを家に持ってこさせた。まあそこで見られるのは綾波レイの全裸くらいだったし、そこに関しては期待外れだった。
ただ漫画3巻の時点(ヤシマ作戦まで)で単純に面白くてハマってしまっていたし、「アニメにはこの先、エロいシーンあるよ」という更なる友人の言葉もあり、レンタルビデオというカタチでTVシリーズにも手を出し始めた。
漫画でヤシマ作戦まで見ていたということもあり、僕がレンタルビデオで初めてみたエヴァアニメは第7話、8話が収録されている4巻だった。
8話。
アスカ、来日。
僕はここで惣流・アスカ・ラングレーと出会う。
先に宣言しておこう。レイorアスカどっち派かという論争はよくあるが、僕は圧倒的にアスカ派だ。まさに圧倒的。なんでだろう、レイには心動かされないんだよね。ハルヒでは圧倒的長門派なのに。
とりあえず8話でアスカに出会ったことで僕のエヴァ熱は更に加速する。
当時は全26話中20話までしかビデオリリースされておらず、今のようにネットで探せるなんて世界でもなかった。我慢できずシナリオ集(要するに脚本)を買って文字だけで21~26話を「読んだ」。
ただでさえ訳のわからない25、26話を脚本だけで読むとどうなるか……いやわかるはずねぇ。
とにかくこうして僕はエヴァ全26話をクリアした。その頃には友達の「エロいシーンあるよ」なんて言葉は彼方に霧散し、意味のない言葉に成り果てていた。
ただただ。ただただただただただただ、エヴァンゲリオンは面白かった。
そしてその当時はちょうど1997年、夏。
そう、まさに今、公開されているのだ。
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(THE END OF EVANGELION) が。
早速友達と見に行った。その頃には例の「エロいシーンあるよ」君より僕はエヴァに詳しくなっていた。
冒頭のシンジ君のオ○ニーシーンにいきなり頭をぶん殴られ(よく考えたらあのシーンアスカがおっぱい丸出しになってるのにそっちに気がいってる人誰もいない。僕含め)、大興奮のエヴァ弐号機とエヴァシリーズの戦闘シーン、まごころを君にが始まってからの超展開、ラスト「気持ち悪い」から静まり返ったまま明転する映画館。
あの空気を当時劇場で味わえたのは宝だと思う。
この劇場版を経て僕はもう、エヴァとひとつになってしまった。20話の碇シンジ状態。
授業中プリントの裏にエヴァを描き、ネルフマークを描き、ロンギヌスの槍を描き(螺旋具合が難しい、)全話のサブタイトルを暗記し、セフィロトの樹の丸の部分の名前を覚え(10個の丸のところ全部に名前がある)、考察本を買い漁った。
今考えると誰が書いたかもよくわからない、こんな本が本屋に山程あった。ちなみにこれどっちも持ってます。
とにかく常にエヴァに触れていた。
エヴァを全く知らなかった1997年。
エヴァを初めて知った1997年。
エヴァの映画を観に行った1997年。
そして1998年3月。97年の公開から1年と経たず、劇場版がリバイバル上映された。
この頃になってもエヴァの人気は衰えず、むしろTVシリーズの放映もやっていなかった田舎にはちょうどこの頃くらいにブームの頂点が訪れていた。
普段アニメなど死んでも見なさそうなスクールカースト1軍バスケ部女子などにも頼まれ、アニメを録画したビデオを貸したりしていたくらいだ。
そんな中でのリバイバル上映。早速映画館へ。ひとりで観に行ったのだが、何回も観たくてしょうがない。我慢ができない。そこで少年の僕は思った「そうだ、映画をビデオカメラで撮影すればいいんだ!」。
はい、バカと思わないで。少年なので。駄目な事だとか思わずに普通にこの考えに至った。だがビデオカメラなど家になく(良かった…)、更に考えた挙げ句僕は、カセットテープレコーダーを映画館に持っていき、映画の音だけを録音して帰ってきた。
いや、これも駄目なことなんだけどね!子供だったので!あんま分かってなかったので!許して。
どちらにせよ、音だけ録ってどうすんだと。何がおもろいねん、と。
エヴァは映像が肝だろ、と。思うかもしれないが、その頃の僕は色々尋常じゃない。
綾波レイのセリフだけを録音したMDを聞きながら通学していた、というオリラジ中田さんの有名なエピソードがありますが、こちらはなんだかんだいって「異性の声」なんですよね。リビドーに強く結びついてますね、ええ。
だが僕は「Air/まごころを君に」の音だけをひたすら聞いていました。ノー編集で。こちらはエヴァそのものへの愛です。あっちゃんのリビドーになんて負けません。
なので僕は映画のかなりのセリフを今でも覚えていて、映画見る時は一緒にブツブツ言いながら観てます。……やめてアスカ言わないで映画のラストのあのセリフ、僕にだけは言わないで。
そんな状態のまま僕は中学を卒業し、高校生になってもこの熱はほぼ覚めることなく、エヴァだけにとどまらずエヴァの次に庵野秀明が監督を担当した彼氏彼女の事情にもドハマリ。
これも演出はほぼエヴァだしめちゃくちゃ面白いからエヴァファン(特にTVシリーズ)にはオススメ。
ラーゼフォン、エウレカセブンなどその後次々と現れたエヴァフォロワー作品にも「エヴァのパクリやんけ……」と文句を言いつつなんだかんだでハマったりして僕はオタクとしてのレベルがどんどん上がっていった(特にラーゼフォンはめちゃくちゃ面白かった超オススメ)。
オタクは続けながらも、流石にエヴァエヴァばっか言わなくなった2006年、当時購読していた月刊ニュータイプにてこんな発表が……。
REBUILD OF EVANGELIONんんんんんんんんん!!!???
最初はリビルドオブエヴァンゲリオンってタイトルだったんですよね。
とにかくこれを見て震えた。エヴァを、エヴァを新しく作り直す、だと?
クリエイターというのは新しいものを作り出すことの方に命をかけていて、過去の作品のおかわりを求められることを好ましく思わない。そういう認識だったし、作家性の強い人程そうだと思う。庵野秀明もそういうのを嫌いそうだな、と。
エヴァ終了直後は噂としてエヴァ2の話題が次々あがり、そのたびに「んな訳ねぇよ」と心の中で否定してきたし、実際2などなかった。
それが再構成というカタチでまたエヴァをやるなんて青天の霹靂!
最早自分の一部になるほどに身体に溶け込んで当たり前になっていた「エヴァ」という存在に、また熱が宿った瞬間だった。
そして2007年9月1日。
名を、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序と変えた新劇場版1作目が遂に公開される。
僕が新世紀エヴァンゲリオンに出会ってから10年後の出来事だった。
劇場版再生産総集編 少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド
前回スタァライトとの出会いを書きなぐって、やっと劇場版の感想が書けます。
既にどっと疲れてますが、勢いで書こう。もちろんネタバレあり。
という訳で、今回の劇場版は総集編ですね。もしかして自分は再演中なのか?というくらい長い間アニメオタクをやっていると避けては通れない「総集編」という映画化。
アニメ業界以外では少ないんじゃないでしょうか。テレビドラマではあんまりないよね(たぶん)。
新作映画の資金集めというのは周知の事実ですが、それだけでなくアニメという人気が限定されるジャンルは劇場にどれくらい人が入るか予測が付きにくく、新作映画の公開規模を広げる為の布石として総集編を公開する、みたいな側面もあるらしい。
とまあ映画業界のお話はこんくらいにしといて、とにかくアニメ業界に死ぬほど多い総集編映画。
これに関して僕は否定派、という訳ではないが正直見に行こうと思ったことはほとんどない。今まで数多くのアニメにハマってきたが、総集編映画を観に行ったのはまどかマギカくらいだ。観てたアニメの総集編映画が発表されたのを見ても大体「ふーーん、まあ行かんけど」と思ってる。
でもスタァライトは違った。ロンド・ロンド・ロンド(曲の方)が凄く好きなので予告でそれが流れただけで涙腺がちぎれた、というのはあるが、重要キャラクター「大場なな」を主役に据えた予告(とタイトル)があたかも新作のような凄みを放っていた。
ちなみに僕は大場なな推しなので単純にそれも大きい。
そんなこんなで総集編映画がこんなに待ち遠しいのはまさに「こんなの初めて」で、やっと観に行けたのであった。
僕が観るスタァライトという作品の中心には常に大場なな、ループする彼女がいる。
もちろん最終的には華恋とひかりという二人に向かって物語は収束していくのだが、1話でドハマリしたこの作品が僕にとって10年に1本レベルの作品になったのは衝撃の7話があったからだ。
正直アニメ作品においてループものというのは特に目新しいものではない。
が、まさかこの作品にそういうSF要素が入ってくるとは夢にも思っていなかった。テレビ放送当時は観て叫んだ記憶がある。
目新しいものではない、とか上から目線で書いておきながら僕はループものが好きだ。もう死ぬほど好きだ。
アニメではうる星やつらビューティフル・ドリーマー、涼宮ハルヒの憂鬱、魔法少女まどかマギカなど、映画でもALL NEED IS KILL(原作は漫画)など、大好きだしループに限らず「時間」を扱った作品が本当に好きだ。
大場なな推しだから彼女中心に物語を観ているのではなく、ループする彼女に魅せられて推しになったのだ。
映画ではカットされていたが、3話で「裏方も兼任する」と言い出した彼女を見て「あー、この娘はきっと役者を挫折して裏方を選んだんだろうな。この娘のレヴューは挫折と葛藤にまみれた最高の回になるだろう」と思って、大場なな当番回が待ち遠しかった。だが、
予想は全部外れた。
まさか彼女が最強で、一年間をループしてる!!!???この衝撃はかなりのものだった。視聴者にとって最も身近なキャラクターのひとりだと思っていた彼女は遥か地平にいた。
地平に、いたのだが。それでもやはり僕にとって一番身近なキャラクターだったのだ。
僕は凄く保守的な人間だ。音楽で生きていくという安定性の欠片もない世界にいるが、「変化」というものが凄く苦手だ。
小さな世界に閉じこもっていたい、と思ってしまう。
これも映画ではカットされていたが、2年進級時にクラスメイト2人が役者の道に挫折して退学したことを知ったなながショックを受けるシーンがある。それがループを引き起こす要因のひとつになったようなので、できればこのシーンは映画でも見たかった。
最高の瞬間だった第99回スタァライトにもう一度会うため、自分の大好きな「舞台」という場所で傷つき挫折するものを無くすため、彼女は自分と周りの人間を絶望のない幸せな箱庭に閉じ込めた。
僕は感情移入する。そんな彼女に。前向きに頑張る愛城華恋でもなく、ロンドンで大変な目にあってもなお前を向こうとする神楽ひかりでもなく、大場ななに。どうしようもなく感情移入するのだ。
円環から出ようとする華恋に「ダメ!」というななに共感する。
テレビアニメでは華恋が歌っていた星々の絆のラスト「繋がったの星の絆いつまでも守るよ」が劇場版ではななパートになっていた。
敗北して途切れた再演を目の前にこの歌詞を歌うって……タオル持って行っててよかったよ。涙なしに見られなかった。
とりあえず大好きな大場ななはこれにて退場。
そのあと純那の前でななが泣くシーンがありましたが、ここのBGMがロンド・ロンド・ロンドから変更になってました。
曲が好きなので「何で変えるんだよ!」と思いましたが、変更されたのは新規曲かな?サントラはあまり聞いてないのでもしかしたら既存曲かもしれませんが、「蛍の光」のオマージュのように聞こえました(あやふやな記憶。もしかしたらぜんぜん違うかも(笑))。
蛍の光は日本では卒業とか何かの「終わり」で使われる曲だし、海外では新年で演奏されることも多かったはず。ループの終わりと新しい場所への移行をBGMが提示しているように聞こえました。まあこれも全く的外れかもしれませんが(笑)。
↑訂正:蛍の光じゃなくて「仰げば尊し」でしたね(笑)。まあ効果的には近いものがあるので蛍の光の解説はこのまま置いときます。
とまあお硬い話は一旦置いといて、レヴュー曲の話。
総集編映画で新規カット追加というのはよくあるお話ですが、レヴュー曲にアレンジが加わってるというのには驚いた。
こういう遊び心からスタッフの作品への愛、本気度が感じられて良かった。
特にStar Diamondは曲そのものの変更があるとは思わなかったので、泣いた。うん、泣いた。
そして運命の舞台の再生産。ここ、僕がとんでもなく好きなところなんです。
舞台装置
約束タワーブリッジ
東京タワーが横向きに塔をぶち抜いてこのテロップが出た瞬間、このアニメは神になりました。
この無茶苦茶な展開が最高だったし、やっぱりこういうテロップが好きだ。
古川監督は幾原監督の弟子筋だが、影響を受けた監督として庵野秀明をあげている。
庵野監督のテロップ演出も岡本喜八からきてるのは有名ですが、まあそういうエヴァを感じさせる雰囲気、演出は全て僕に刺さる。
アニメでも映画でもそうだが、観る時に気になるのは「リアリティ」だ。
地下で行われるアレコレを見ているとリアリティがあるとはとても思えないが、リアリティとはそういうことではない。
作品内で起こる非リアル=ウソをどれだけ視聴者に信じさせる事ができるか。これが重要。これをさせてくれない作品は自分の中で見る価値がなくなってしまう。
スタァライトは演出力でそれを信じさせてしまう。それは幾原監督もそうだと思う。
というか、細かいことはどうでも良くなってしまうのかもしれない(笑)。
そんなキリン並に首を長くして待っていた約束タワーブリッジシーンが終わり、大団円。
後はエンディングで流れるであろう再生讃美曲を待つモードになってたところに最後の”アレ”がやってきた。
血塗れで倒れる舞台少女たち。
えっ、なに?進撃の巨人みたいなことやめてくれません?(笑)
これがどういうことなのか、また大場ななの物語が始まるのか、そういう予想はとりあえずやめておいて、このシーンから感じたことを。
少女☆歌劇レヴュースタァライトという作品は前回のブログでも書いたように、当たったら死ぬんじゃないかという武器で本気で戦う。
だが今まで一度も血が流れたことはない(細かいところまでは把握できてないが概ねそうだと思う)。
レヴューとは「舞台少女としての自分を賭けた戦い」であり、それを命の代わりとしていると思う。
レヴューにおいて血が流れないのは、表現として痛々しくならないようにという訳ではなく、血を流す必要がそもそもないからなのだ。
しかしそれをいきなり裏切ってきた。あれが現実的な表現なのか、イメージ表現なのか分からないが、今まで血を見てなかった僕たちだからあのシーンに、より衝撃を受けたんだろう。
そして衝撃と同時に、彼女たちに罪悪感を覚えた。
キリン=観客=視聴者というのは誰もが言っている事だとは思う。
視聴者(ファン)が大好きな作品に望むことは、「続編」だ。大好きな彼女たちの新しい物語を観たい。そう思っているし、実際そうなった。この総集編、そして新作映画の発表がなされたときは本当に嬉しかったし待ち遠しかった。
そして視聴者が望む「続編」は、登場人物たちを間違いなく不幸にする。
ストーリーは登場人物の不幸を原動力に進むからだ。このスタァライトもテレビアニメではハッピーエンドで終わるが、ハッピーエンドで終わるためには必ず不幸な状況が必要になる。「ハッピー」というのは相対化されたものだから。
最初から最後までハッピーな世界に物語的推進力はないのだ。
僕たちは新作を望んだ。そして僕たちの望みは叶った。
結果、僕たちは彼女たちを血まみれにしたのだ。
こんな罪を負いながらも、新作映画が公開されたらまたウキウキした気分で劇場まで足を運ぶだろう。そして泣いたり笑ったりしながら彼女たちの不幸を消費する。
キリンは言ってくれるだろう。
「分かります」と。
『少女☆歌劇レヴュースタァライト』との出会い
劇場版再生産総集編「少女歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」
が公開になった。早速(と言う割には公開二日遅れ)観に行ってきたので、当然のことながら感想を書かなければならない(必須)。
映画の内容に触れる前にスタァライトとの出会いを書いていこうと思うが、ラブライブ!フェスの感想を書こうとしたときも出会いのお話だけで1回分になってしまったので今回も映画の内容まで達さない可能性、大。
というこうとを頭に入れておいてもらって、まずは出会いのお話。
2018年7月、テレビアニメ「少女☆歌劇レヴュースタァライト」が始まった。
スタァライトはメディアミックス作品。ミュージカルが先行して上演されていたので、その存在はもちろん知っていた。 ラブライバーとしては三森すずこ、佐藤日向が同じグループにいるということで気になるのは当然。
だが「舞台」というものにそもそもあまり興味のない僕はスルーし続けていた。そんな中迎えた2018年7月。
アニメスタートが決まったものの僕の中で「演劇」をテーマにした作品というのは、『主人公がネチネチしたイジメにあったりして観るのが疲れる』というすごい偏見(笑)、があった。ガラスの仮面の影響だと思う(いや、ガラスの仮面もちゃんと観たことないけど…)。
まあそんな偏見で見ようかどうかは迷うところだったが、ラブライブ!とは別にもうひとつくらいどっぷりハマれる作品に出会いたいと思っていて、舞台少女のキラメキに誘われるように自分からその沼に浸かっていったのであった。
とはいえ!しょーもない内容ならすぐに切るからな! と、半ばケンカ腰でテレビと向かいあった第1話。
メインキャラクターの人となり、聖翔音楽学園という舞台の説明がなされたぬるい日常パートに特に惹きつけられる場所はなく、「あーこんな感じね」という感想。
このままでは1話切りしてしまうぞ、と思っていたら…… 残り5分、凄いことが起きた。
学園地下に突如現れたエヴァとかでないとありえない巨大空間。東京タワー。人語を喋るリアルキリン。当たったら死ぬだろうとツッコミたくなる、おそらく本物の武器での少女たちの戦い。その現実を誰も疑問視しない世界観。
え、なにこれ。なにこれ。思ってた内容と違う!演劇のお話じゃないの?役者を夢見る少女たちが学校で切磋琢磨するお話じゃなかったの?
CONFUSION!
混乱。である。混乱のさなか、ありえない程の高所から平然と飛び降りた主人公にかぶさる、その、文字。
……やられた。何かがガツーン!!ときた。意味なんて分からない。説明なんて全くできない。そして始まる変身シーン(所謂バンクシーンというやつ)。
この瞬間、主人公、愛城華恋の再生産に僕も巻き込まれたのであった。それからの展開は正直あまりどうでも良かった。僕はもうこの世界に入り込んでしまったのだから。この作品は面白いのか?と値踏みする必要はもうなくなってしまった。
そしてそのままエンディングへ。僕の衝撃はまだ終わらない。
1話エンディングテーマは2話以降オープニングテーマとなる「星のダイアローグ」
だった。これまたこの曲の始まりがすごく良かった!
ついさっき「値踏みする必要はもうなくなった」と書いたばかりだが、この素晴らしい曲を予感させるイントロとAメロが逆に値踏みする気持ちを復活させてしまった。
楽曲、特に歌モノで重要なのはもちろんサビだが、本当にいい曲とういうのはすべからくAメロが素晴らしい。
今のようにABサビという曲構成ではなく、AAB(サビ)Aという曲構成が主流だった頃は、Aメロの存在感で曲が成り立っていた。
例えば、魔女の宅急便のオープニング「ルージュの伝言」を今、思い浮かべてみてほしい。浮かんだのは「あのひとのママに会うために」だったでしょう?
これはAメロなんですよ。今は昔と比べAメロの存在感が希薄になってしまったように感じるが、それ分Aメロがいい曲にはグッと心を掴まれる。
星のダイアローグはまさにそうだった。Aメロが凄く良い!だがその分、「裏切るなよ、この良さをBメロやサビで裏切るなよ」とこの曲を値踏みするモードに入ってしまった。逆に「この曲が本当に良ければ僕はこのレヴュースタァライトというアニメに全力を注ぐ!」と勝手に宣言した。
そして星のダイアローグは、少女☆歌劇レヴュースタァライトという作品は、僕の2回目の「値踏みモード」を破壊した。
拍子が変わるBメロ「なにっ!」、拍子がもとに戻って更にテンポのあがるサビ「なにいっ!」、サビの力強い歌詞と最高のメロディー!「なにいいいいっ!!!」
……完敗。即落ちでした。
ここまできたら、最早チョロい存在、僕。まんまとスタァライトされちゃったのである。
これが、僕と「少女☆歌劇レヴュースタァライト」との出会いだった。
胸を刺す、衝撃を、浴びてしまった。
今まで死ぬほどアニメを観てきているが、こういう体験はあまりできない。
だが、こういう体験をさせてくれるからこそアニメはやめられない。シーンが地下に移ってから「これは幾原邦彦っぽいぞ」、と思っていたが調べてみたら古川監督は幾原監督の下で演出とかやっていたらしい。なんか全部腑に落ちた。
幾原監督にも中々ガツーーンとやられてきたからな。
このアニメ「スタァライト」1話の感想をどなたかのブログで読んだことがあるのだが、そこにあったある一文がずっと頭に残っている。
これには大いに同意させられたし、スタァライトという作品を自分なりに楽しむうえで重要なワードになっていった(ありがとう、どこかのブロガー様)。
先程、幾原監督にはガツーーンとやられてきた、と書いた。ガツーーンとやられたのは確かだし、特に輪るピングドラムはそこそこハマった。
でもしかし、その作品世界に浸かりきることはできなかったし、その後の作品でもそうだった。というより幾原作品と僕にはどんどん距離が開いていった。
それは先程の「イデオロギー」の部分が凄く大きい。幾原作品には監督の「言いたいこと」が強く内包されていて、ある種説教臭く感じてしまう。
僕はもういい歳の大人なので、アニメを観ながら説教などされたくないのだ。怒られたくない!(笑)
スタァライトにはそれがない。「ない」と言ってしまったら監督が何も考えていないと取られてしまいそうだが、そうではない。
古川監督は視聴者に押し付けないのだ。だから何も考えずに観られる。何も考えずに観て、結果、色々考えてしまうのだ。
と言うわけで僕は2018年7月、少女☆歌劇レヴュースタァライトに出会ってしまう。
そしてその時浴びた衝撃を第7話にてまた別の角度から浴びることになる。
それについては次、劇場版の感想にて語ろう。
2020年に観る「ラブ&ポップ」
久々のブログ。
仕事で「あの素晴らしい愛をもう一度」の譜面を作ることになったのでYoutubeで曲探し。
1971年発売のヒット曲なので知らない人も多いかもしれませんが、大好きなんです、僕。
とはいえ流石に僕も1971年リアルタイムと言うほどのおじさんではない。知ったのはこの映画がきっかけだった。
「ラブ&ポップ」
エヴァンゲリオンの監督、庵野秀明の初実写監督作品として話題になった1998年の映画。そして主役の三輪明日美が歌うエンディングテーマが上記の「あの素晴しい愛をもう一度」のカバーだった。
97年、エヴァンゲリオンにどっぷりハマって、エヴァのことを考えない日はないくらいになった。それからエヴァとそれに関する全てのことにアンテナを張っていた僕にとって、庵野秀明の実写映画はもちろんチェックしないといけないものだった。
劇場まで足を運ぶことはなく(当時中学生だった)、後にレンタルビデオで観ることになるのだが、テーマソングのあの素晴しい愛をもう一度のCDは発売日に買いにいった。当時はまだ8cmシングルだった。
曲は歌詞を覚えるくらい繰り返し聞いたものの、映画は一度見たきりだった。
原作は村上龍の小説。当時社会問題になっていた女子高生の援助交際をテーマにした鮮烈な内容だったのでイメージとしては強く残っていたが、流石に一度しか見てないので細部までは殆ど覚えていなかった。
そんな中、あの素晴しい愛をもう一度の原曲を聞いた流れでYoutubeに落ちてたラブ&ポップのエンディング映像を発見。見てみることに。
5分43秒、目を離せなかった。ずっと、なんか胸がずっと、痛い。
四人の女子高生が渋谷川をバシャバシャと歩き続けるだけの映像。これが何故そんなに胸を打つのか、どうしても語りたくなったからこうして久しぶりにブログを書いたのに、言葉で説明ができない。語彙よどこへ……
やっぱり庵野秀明の映像って、アングルなのか色合いなのか何故か心をざわつかせる。
とにかく痛くざわついた胸を鎮める、というより更にざわつかせる為に約20年ぶりに本編を観ることに。
本編はエヴァや他のアニメ監督作品、最近のシン・ゴジラに至るまで使われている、庵野印な特殊アングルがこれでもかというくらい多様されいた。それを食傷気味に感じて評価を低くしている人もいて、まあそういう感想も分かる。
でも僕はそういう特殊なアングルが好きなので(単純)、最初から目を奪われた。
ざっくりいうと12万円の指輪を買うために援助交際をする女子高生の一日を追うというストーリー。
ストーリーは単純だが映像、音楽、多用されるモノローグ(主演の三輪明日美の拙い喋りが逆に良い)などから妙なリアリティが常に出ていて、”あの時代”に一瞬にして引き戻された。
これは90年代後半をリアルに生きていない世代に伝わるのか、自分がこんなにもエモーショナルな気持ちにさせられるのはただのノスタルジーなのか、それは分からない。
けど当時中高生だった自分には刺さらなかった(あまり見たときの思い出がないのでたぶんそうだったと思う)ものが、今こんなにも刺さるのかという衝撃が凄かった。
90年代後半は世紀末でノストラダムスの大予言(ノストラダムスの大予言 - Wikipedia)があったり、神戸の連続児童殺傷事件、地下鉄サリン事件、阪神大震災、少年犯罪や援助交際が話題に登った時代だった。
そうやって世の中が劇的に変わっていく中、庵野秀明が描き出すものは「世界の終わり」が近づいているのか?みたいな時代の空気とリンクしていたように思える。
だからエヴァはあそこまでヒットしたんだろう。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズはもちろん大好きで、コロナの影響で延期になってしまったシン・エヴァンゲリオンの公開も待ち遠しくて仕方ない。
だがこのラブ&ポップを観て、シン・ゴジラを思い出してみて思った。エヴァ新劇場版シリーズには”庵野秀明っぽさ"があまりないと。
圧倒的な映像センスは相変わらず感じるが、自身は総監督に落ち着き、摩砂雪、
鶴巻和哉といったガイナックス時代からの盟友に監督を任せている。そうすることによって新劇場版シリーズは過去の新世紀エヴァンゲリオンに比べて随分ポップなものになったと思う。それは単純に庵野秀明が大人になったから、というだけなのかもしれないが、どちらかというと複数の監督が入ることにより「庵野秀明」という味が薄れてしまったような印象が強い。
新劇場版について今までそんなこを考えたことはなかったが、ラブ&ポップを観てふとそんなことを思ったのであった。
たぶんシン・エヴァンゲリオンがどんな終わり方をしようとも僕は好意的に受け止めると思う(ちなみに僕はエヴァQも肯定派)。だだ願うことなら、胸焼けするくらいの庵野秀明味の料理が食べたい。
春はバケモノ~其ノ弐 FF7と僕~
自粛期間中にやっていたもの、その弐。
FINAL FANTASY Ⅶ REMAKE
僕はFF7リアルタイム世代だ。当時はプレイステーションとセガサターンという二大次世代ハードが同時期に発売されて、どっちを買うかみんな迷っていた。
そんな時、「次作、ファイナルファンタジー7はプレイステーションで発売」という大々的な報道があった。「バイバイ任天堂」みたいな見出しの記事が衝撃だった記憶がある。
その瞬間、僕ら子供の迷いは消え去った。
『拝啓プレイステーション様、僕たち子供はあなたにお金と時間を捧げることを誓います』
そう、僕たち子供はFFの為にプレステ陣営に下ったのだ。そこからセガサターンはバーチャファイターかサクラ大戦をやりたいやつだけが持っているというニッチなハードになっていく事になるがそれはまた別のお話。
そして待ちに待った発売日。同じく発売日に買った友達とどっちが速くクリアできるか競った。当時はネットで簡単に攻略を見れたりしなかったので、ヒュージマテリアをひとつ取り逃して絶望したりした。いや、現在の環境が羨ましい。
FF7が僕に与えてくれたもの。それは素晴らしいストーリーに映像、というのは前フリで、
ティファ・ロックハートとの出会い。
だ。だってあのおっぱ……いやほんと可愛いんだよティファ。
このメニュー画面のアイコンだけでも一日中眺めてられたもん。
FF7がもたらした衝撃、それはこれまでチュン・リー一強だったゲーム界にティファ・ロックハートという新たなセックスシンボルを登場させた事だった(適当)。
そう、最早マリリン・モンローなのだ、ティファは(適当)。
そしてFF7、ティファ人気はそのままに23年後の今年、リメイクが発売された。
23年後の僕は昔と違ってTVゲームはほとんどやらないし、PS4もメディアプレイヤーとして便利だから持ってるに過ぎなかった。FF7とはいえ今更TVゲームを買って本当にちゃんとプレイするのだろうか?
と、自分に疑問を抱きつつ迎えた発売日。今やAmazonがゲームをポストに放り込んでくれる時代。23年前じゃ考えられませんでした。
ゲームオブスローンズに夢中だったので見終わるまでは一日一時間程度しかしてなかったが、見終わってからは本領発揮。
自分への不安が嘘のようにドハマリ。昔と変わっててめんどくせえと思ってた戦闘システムが面白すぎてやめられないとまらない。気付いたら全トロフィー獲得して完全制覇していた。いや、最高だった。最高だった。最高だった、
ティファーー!!!
てかなんだこれ。エアリスもめちゃ可愛い。エアリス派の血が1ミリリットルも流れてない僕ですらため息がでる可愛さの嵐。
なんだこれなんだこれなんだこれ。いや、これ、
ギャルゲーじゃん。
FF7リメイクのリメイク度合いがすごい。全女キャラが主人公クラウドめがけて猛アタックしてくる。変えろ。もうタイトル変えろ。
えふえふ!~せぶん・りめいく~
にしろ。とにかく最高だ。
はやく出ないかな。待ち遠しいな。えふえふ!の続編。
春はバケモノ~其ノ壱~
一念発起。
みたいな気持ちでブログ始めたが、書きたい事がふつふつと湧き上がってこないと手を付けまい、と思っていたらまあブログという空箱が存在しているだけになっていたこの数ヶ月。
高海千歌のスカートがあーだこーだ言ってた頃がこの世の春だったのかというくらい、とんでもない世界になってしまいましたね。
音楽生活の集大成じゃねえかってくらいの勢いで立ち上げた「ライブハウスでラブライブ!楽曲オンリーで生バンドイベントをやる」という夢の企画も本番ギリギリで延期に。
それだけじゃ終わらず、緊急事態宣言で4月頭からずーーーーーーーーーーーーーーっと家にいます。
コロナ。コロス。
と、ステイステイステイステイホームの稲岡ですが、この一ヶ月あまり何をやっていたのか。
………………何をやっていたのだろう。思い出がほとんど、ない。
ひねり出すと、大きく、ふたつ。
◎ゲームオブスローンズ
◎FF7REMAKE
かな。
知らない人の為に言うとゲームオブスローンズは海外ドラマ。架空の大陸を舞台に(イギリス辺りがモチーフ)剣、ドラゴンなんかが出てくる国取り合戦の中で巻き起こる人間ドラマって感じ。
前から見てみたかったんだが、シーズン8まであるのをイチから見るというエネルギーがなかったことと、中世的な世界観のファンタジーがそもそもあまり好きじゃないこと、このふたつの理由で見てなかった。
そもそも好きじゃない世界観の作品を何故見たいねん、というツッコミはやめて!
だって世界中が面白いって言ってたじゃん。みんな言ってんじゃん。
ということで、ステイホームが始まった初日に早速見始めた。そしたら、
お、おもしれえじゃん……
まあ前述した通り好きな世界観ではないので、同じ海外ドラマならウォーキング・デッドの方がハマり具合としては深かったですが、シーズン8までストーリーが一貫してて目が離せなかった。
ゲームオブスローンズを一言で言うなら、
「カタルシスの渇望」
だった。いや、ごめん、最大限にカッコつけた。文字サイズもカッコつけたぶん最大限。カッコつけたけどホンマにそうなんです。
要するに、すげームカつく奴がいるからそいつが殺されるとこまで見るのやめられねえ!という原動力。それが見るのをやめさせない。
実際それを原動力に僕は最終章のシーズン8、総時間約80時間を一週間あまりで見きってしまった。
それはそれは完成されたお話しで、めっちゃ誰かと共有したい!喋りたい!と思ったんですが……
誰も、みてねぇ。
誰もゲームオブスローンズみてねぇ!
えっ、おかしいやん。みんな面白いって言ってるやん。世界中で人気やん。他の映画見ててもジョークでゲームオブスローンズの名前出てきたりするくらいやん。高槻かなこも好きって言ってたやん。これ見たら色んな人と楽しくトークできるって思ってたやん。ウォーキング・デッドの時はそうやったやん。どこいった?ゲームオブスローンズ見てる人、急に世界から消えたんか?コロナのせいか?おかしいおかしい。
せっかく80時間かけて見たものを、それもガッツリ胸に響いたものを誰とも共有できへんのかーーーい!!
絶望した。ゲームオブスローンズにも絶望して死んでいくキャラクターが沢山いたが、僕もそれの一部になれというのか。
頼む、見てくれ。お願いだ、これ読んだ人は全員見てくれ。ゲームオブスローンズを。
そして僕と語り合おう。
これが僕の緊急事態宣言。次はFF7リメイクの話。
千歌、スカートのむこうに
ラブライブ!サンシャイン!!の舞台、沼津。そして沼津名産、西浦みかん。
その西浦みかん大使にサンシャインの主人公、高海千歌が選ばれたというニュースを暖かい目で見ていたらそこから数日後……。
「宣伝用ポスターの千歌のスカートが透けている」
としてなにやらネットでボヤ騒ぎになっていた。
大使決定のニュースのときにイラストも見たけど、あんまり覚えてない。
しっかり見てみた。
透けて、る?(笑)
僕は視力1.2くらいあるのだが、透けてるようには見えない。
見えないし、もし本当にこれが透けるように描かれているとしたら描いた奴クレイジーでしかない(笑)。
とまあ、これがきっかけで現在(2/16)も微妙に燃え続けている。
で、twitter上で否定派肯定派の戦争が行われている、と。現在進行系で。
では、前家虎について書いた時最初に自分の立場を表明したように、今回も宣言しよう。
はぁ?透けてる?性的?うるせえいちいちイチャモンつけてくんな、死ねっ!!!
ですねーーーー。
こんな事でいちいち言ってくるやつは口をつぐんで孤独に暮らしといてほしいですねーーー。
というのが本心で、正直twitterでもこの件で争ってるのを見るの嫌だしかなり腹が立つ。
イラつくから見たくない。
見たくも聞きたくもないんだが、いちいちうるせえんだが、それでもこの件に関して否定派を完全に論破することは不可能、とも思うし、なんなら不利な部分もあるんじゃないかと思う。
それは何故か。
こういう炎上、ちょっと前にもあってそれを思い出す人も多いでしょう。
漫画、「宇崎ちゃんは遊びたい」が献血ポスターに使われたんだが、それが”性的”(胸を強調しすぎ)だと炎上→ポスター変更となった。
今回も同じでスカートが実際透けて見えるかどうかは置いといて、千歌のスカートが過度に短くて性的に描かれていると言われている。
そう、きっかけは「透けている」というものだったが今や「エロい」「エロくない」論争になっているのだ。
実際僕は千歌のポスターを見た時「エロい」とは全く思わなかった。そんなもんエロいってんなら千歌よりも隣で映ってる伊波杏樹のほうが100倍エロい。
それでも、
このスカートが「短い」or「長い」どっちかと問われるとどう考えても「短い」と答えざるを得ない。
前述した「宇崎ちゃん」のポスター↓
これは過剰に胸がデカイかどうか、と聞かれたら「めちゃめちゃデカイ」と答えるしかない。
どちらも性的なアピールがゼロで描かれているかといえば答えはノーだと思う。これは作者に聞いてもそう答えると思う(正直に答えるかどうかは置いといて)。
なので、「スカート透けてるじゃないか!いやらしい!」には「透けてねえよ!」で返せるが、「スカート短くていやらしい!」には「スカートが短い」という事実がある以上真っ向勝負出来ないのだ。
「スカートが短くていやらしく見える」と、「スカート短いけどいやらしくは見えない」は見る人の主観であって、ここはどうあがいても平行線だし、実際スカートが短いというのはエロアイコンになり得ると思うので、分が悪いなぁと思ってしまう。
これをエロいから排除しようと言っている人と口論してるアニメファンの論を見ると、「僕たちはこれをエロい目で見ていない!これを見てエロいと思う人の方が邪じゃないか!」というのが結構多い。
こういう反論をしたい気持ちは分かる。痛いほど分かる。
でも、
ほんとうに、そう?
ほんとうに、エロい目で見てない?
いや、このポスターに関してはエロい目で見ていないかもしれない。
が、アニメ・マンガ文化にはほぼイコール「同人誌」という存在があり、必ずと言っていいほどアダルト、成人向け同人誌(二次創作)というものが出てくる。
全オタクがそれを見ている訳ではないだろうが、かなりの人数がアニメ・マンガを”普通に”楽しみ、同人誌で”別の”楽しみ方もしている。
宣言しよう。僕は同人誌が大好きだ。成人向け同人誌が大好きだ。
ラブライブ!系のももちろん見る。
アニメを見て感動して号泣して、キャラクターに感情移入して可愛いと感じる。その裏でエロい目でも見ているから同人誌を見たりする訳で。
ラブライブ!にハマったロンブー淳が最近色んなところでラブライブ!の話を出してくれる。
そしていつも「アニメを見ている人はキャラクターを恋愛対象として捉えてるんだという偏見があったけどそうじゃなかった。ラブライブ!はスポ根なんだ」みたいなことを言ってくれてて、その度に「淳ありがとう。あんたのプロパガンダ最高だよ」と思っているが、その裏でなんかうしろめたい気持ちにもなっている。
だって、まあ恋愛対象という言い方は違うような気はするが、「確実にエロい目でみたりもしている」んだもの!!
ねえ、オタクの皆さん、そう思いません?可愛い女の子がいっぱい出てくるアニメ見て、全くエロい目で見てないなんて逆に嘘くさいよ!淳はほんとにそうなのかもだけど、うしろめたい気持ちになるオタクは絶対いると思う。
だから「スカート短い!いやらしい!」と言われても「そうだよ!いやらしいよ!オレたちの大好きなものはいやらしいんだよ!いやらしくて俗っぽくて、だから最高なんだよ!それの何がいけないんだよ!(CV:緒方恵美)」と反論するしかない。
僕には口が裂けてもこれが「全くエロくない」とは言えない。
そもそも、僕たちオタクはいわゆる「萌え絵」みたいなものを普段から見てる。ずっと見てる。死ぬほど見てる。穴が空くほど見てる。だからもう慣れちゃってるんだよ。
僕たちにとって当然のものは、普段アニメや萌え絵など見ない人からしたらほとんどが「過度に性的にデフォルメされたもの」なんだよ。
韓国人の知り合いが日本の料理は辛さが足りないと言ってた事がある。
普段から辛いものを食べまくってる韓国人からしたら辛口のカレーは全く辛くないんだろうが、僕は普段辛いものをほとんど食べないので辛口のカレーはかなりきつい。
それと一緒だ。
この件に関して本当は、はらわた煮えくり返りそうなくらいイラつくが、宇崎ちゃんの件もあり社会性の高い施設やイベントとのコラボではそういう横やりがすぐ入るという前提で動くべきなのかもしれないと思う。
実際今回の件でラブライブ!は損しかしてない。ヒーローアカデミアの件もそうだが、今後はそういうリスクヘッジをしっかりしたうえでやらなくてはならないだろう。
いくら表現、言論の自由を謳っても現実問題炎上してしまったらめんどくさい事にしかならい。
それに今後こういう絵が「性的」という理由でどんどん淘汰されていく未来にもしかしたらなるかもしれない(非常に嫌ではあるが)。
昔の漫画の台詞には今ではとうてい載せることが出来ない差別用語が当然のように載っていたが、現在では当然そんな表現は出来ない。これに関して文句のある人はほぼいないと思う。これは時代がゆるやかにそういう風に変わっていったからだろう。
同じように50年くらい経ったら「昔ってこんなに短いスカートの絵があったんだよ。今じゃ考えられないね」みたいな日が来てるかも。
それの良し悪しは置いといて、こういう”一部の人に性的に映る絵”に不快感を感じる人がいるのも事実なのだ。
ただそれに反して何も思わないサイレントマジョリティがいる事も忘れないでほしい。
こういうときお決まりのように「またフェミが騒いでる」となってしまうが、僕はあまりそこで思考停止したくない。報道で何かあるたびに「またマスゴミか」と言ってるのと同じくらいレベルの低い考え方だと思う。
フェミニズムってそもそも男性よりも地位が低かった女性の地位向上を謳った考え方なはずなのに(そこまで詳しくありませんが)、それを旗に男性を弾圧する存在みたいにイメージが変わってしまってるよね。
特に日本は男尊女卑の国だったので(うちのばあちゃんなどは親父が風呂に入るまで自分は絶対に風呂に入らなかった。そういう教育を受けてきたのだろう)、そもそも上位にいた男は「男」というものが性的に消費されているのを見ても「はいはい」くらいにしか思わないが、女性はそもそも立場が低かったので「女」が性的に消費されているのが虐げられているようで我慢ならないのかもしれない。
だからこそこういう炎上ってやっぱり「女性」をモチーフにしたものでしか起こらない気がする。
男性キャラクターなどが過度に性的という理由でバッシングを受けてるのを見たことがない。
そもそも日本は性的な事に関して凄くゆるい。世界的に見て後進国だと思う。
だからこそあえてそこは開き直って、何が悪いんだよこれが日本のやり方だ!と独自路線を突き進んでいきませんか?(笑)
なので結局まとめるなら、
オレたちの高海千歌は可愛くてエロくてみかんが大好きで沼津が大好きな最高の存在なんだ!沼津のJAもそれを歓迎してくれてる!お陰でみかんも完売だ!
だからちっせえことごちゃごちゃ言う口にみかん突っ込んで黙ってろ!
しかない。
あ、ちなみに僕も西浦みかん買おうとしたのですがラブライブ仕様ダンボールのは完売でした。今度ふつうのみかんでも通販します。
Guilty Kiss First LOVE LIVE!
Guilty Kissのファーストライブに行ってきた。2Daysのうちの2日目。
Guilty Kiss、通称ギルキスはラブライブ!サンシャイン!!、Aqours内のユニットだ。
このブログ、ラブライブ!以外の事も書きたいんだけど結局ただのラブライブログになってるな(笑)。まあ他のこともそのうち。
とにかく、ギルキスライブ。AqoursのユニットはCYaRon!、AZALEA、Guilty Kissの3つあるが僕はもちろんギルキス推し。だって小林愛香がいるんだから。当然。
当然、なんだが楽曲的にはAZALEAが一番好きで、ギルキスのロックな曲とかは正直あまり好きではない(コワレヤスキとか)。EDM系は好きなんだけどね(Guilty Night,Guilty Kiss!とか)。
どのユニットにももちろん大好きな曲はあるのだが、いかんせん曲数が少ない!
Aqoursの1st、2ndライブ、函館ユニットカーニバル、その後ユニット対抗ツアーと
幾度となくユニットライブは見たが曲数は2ndライブからほとんど増えず、特にユニット対抗ツアーは唯一当選した名古屋までAZALEAを見に行ったが(ギルキスはLVに行った)セトリや構成に新鮮味がなく名古屋まで車を必死で走らせた割に大きな収穫のあるライブじゃなかったと思ってしまった。
いやもちろん楽しかったんだが、これまでAqoursはライブに行くたびに新しいものを見せてくれた。ユニットツアーはそういう意味で新鮮味に乏しかった。
ということもあり、今回のユニットワンマンも遠征までするエネルギーはなく(お金かかるしね)ライブビューイングでの参戦。
今回のライブ用に全ユニットニューシングル出したので曲数も増え、ワンマンやってもある程度出来るほどにはなったかなと思いつつ、それでもどうなるんだろうという不安はあった。
けどそれはライブ序盤いきなりのMY舞☆TONIGHT披露によっていい意味で裏切られた。
「MA・JI・DE・!?」
いやもう最高かよ。いやもう単純だよ。これだよ。これだけでいいんだよ。こういうたったひとつの驚きでもう満足なんだよ。このライブの為に頭悩ませて考えてくれたんだろうなとファンがひとつでも思えたらそれでいい。
しかもMY舞というアニメ的には結構重要な曲をユニットでやっちゃうところが凄く良かった。
なんかアニメ挿入歌ってストーリーと寄り添う部分が大きいから、ライブで単純に盛り上げたい!ってところであまり使われてない気がする。でもやっぱりアニメ曲って知名度も高いしみんな聞きたいと思うんだよね。
だからここでMY舞をチョイスしてくれた事に凄くテンション上がった。
最後辺りでWATER BLUE NEW WORLDをやったのとかもいい意味で安売りしてくれたのが凄く良かった。この曲は特にエモいから「重要なところでしか歌わね―よ!」って感じなんだろうなと勝手に思ってたし。
そしてまさかのソロ曲披露。これは全くもって予期してなかったから超意外だった。
2ndライブ現地で初めて見て崩れ落ちたヨハネソロ衣装をまた見れるなんて最高。
2ndの時(Blu-rayを見た時も)気付かなかったが、ヨハネ衣装の左肩↓
が、これ↓
に見えるなぁ……。としみじみ思ってたら1日目に既にりきゃこにイジられてたのね(笑)。
いやもうそれにしか見えなかったんよ。
どちらにせよいい衣装だよ!脚とか脚とか脚とか。
最初と最後は新曲の「New Romantic Sailors」でしたが、この曲はほんとイントロだけで衝撃を受けるくらいのキラーチューンだったので始まりと終わりの曲としてはこれ以上ないものでした。
(この曲への愛は僕の弾いてみた動画の概要欄で語ってますので良かったらついでにどうぞ→https://www.youtube.com/watch?v=vXKApflQkEU)
ま、大した感想ではありませんでしたがLV会場に着いてスクリーンに映る客席を見て予想以上の広さに驚いた。Aqoursの人気はまだまだ凄いとはいえユニットワンマンとなるとどれだけの集客力があるのかよく分からなったんですが、いやー凄い。ファンとして鼻が高かったですよ。
では最後にこのライブで一番の思い出を叫びます。
もうこれだけでチケット代の5倍以上の価値があった。
新衣装のあいきゃん気が狂いそうなほど可愛かったあああああ!!!!!!
「家虎根絶」について
2月2日、ブシロードの木谷さんがtwitterで「家虎根絶する方向で動く。ライブの妨害行為については法的手段も検討する」という趣旨の投稿をされ、物議を醸しています。
1日のバンドリ!のRoseliaライブでの家虎を受けての発言と思われますが、これについて思うことをダラダラ喋ります。
まず……
「家虎」
ってなに?って方に軽く説明すると、ライブ中(特にアイドル界隈)のコールの一種で「イェッタイガー!」と叫ぶ行為。曲中の空白で叫ばれる事が多い。
って事ですはい。家虎という表記はイェッタイガーを漢字に置き換えたという感じですね。説明してもよくわかりません(笑)。
これが何故問題になっているかというと、曲中の意図的な空白に邪魔が入るからということだろう。
詳しく語る前にまず僕の家虎に対する気持ちを宣言しておくと……
ヘドが出るほど嫌い
だ。そう、ヘドが出るほど嫌いなんですよ(笑)。
とはいえ、ライブ会場で「イェッタイガー!」と叫ぶやつを怒鳴りつけてやろうとかぶん殴ってやろうとかそういう「家虎警察」的な、感情を燃えたぎらせているほど熱心な家虎ヘイトでもないという感じ。いやヘドが出るほどには嫌いなんだけどね。
なので、「家虎根絶」自体には大賛成なのだが、一方向の思考だけだと面白くないので、多少擁護も入れつつ喋ります。
僕が「家虎」というワードを初めて知ったのはラブライブ!サンシャイン!!、Aqoursのライブに行くようになってから。twitterなどで「恋になりたいAQUARIUM」という曲の1番サビ前の空白で家虎をやるとかやらないとか好きだとか嫌だとか、論争になっていたのだ。
僕はAqoursの1stライブはライブビューイングだったし、会場では言ってる人いなかったと思う。なので何の事か分からず、調べた。
……調べても意味分からなかった。「イェッタイガー」がどういう意味なのか、このワードが生まれた経緯も、全く分からなかった。
前述した通り僕は家虎がヘドが出るほど嫌いだが、それは空白の部分を壊すからとかそういう論理的なものでもなんでもなく、ただただ気持ち悪いのだ。「イェッタイガー」というワードが気持ち悪い。
理解できない人に対する恐怖感嫌悪感は誰にでもある。街で独り言をボソボソつぶやきながらフラフラ歩いている人がいたら避けると思う。怖い。気持ち悪い。反射的にそう思うだろう。
僕にとって家虎とはそれに近い。語源を調べてもよくわからないワードそのものが気持ち悪いし、その気持ち悪いワードを大声で叫ぶ人たちも気持ち悪い。
最早生理的なものなのでどうしようもない。
恋アク(恋になりたいAQUARIUM)での家虎について言えば、ファンの中でも未だに論争は続いているが嫌がる人が多数というイメージで、ライブ会場で叫ぶ人は多少いるものの、ライブビューイングではほぼいない。実際この間のラブライブ!フェスのライブビューイングでも叫んだ人はいなかった。
しかし、家虎の存在を強く意識してしまったことによって「誰か言う?言わない?」みたいな余計な気持ちを抱えて恋アクを聞かなければならなくなってしまったので、どちらにせよ微妙な気持ちになってしまう。なんか損した気分!
とまあ恋アクの家虎は嫌なんだが、否定派の意見として「サビ前のしゅかしゅー(斉藤朱夏さん)のソロを邪魔する」というのがある。が、それに関してはよく聞けと言いたい。サビ前の「近づきたいなI miss you」という歌に家虎は全く被っていない。
あえて言うならサビ冒頭の「アクアリウムで」のところに少しだけ被っている気もするが邪魔になるほどではないし、そもそも「歌の邪魔」という理由を採用するなら、コール自体ほとんどやめるべきだ。
PPH(手拍子でパン、パパン、フー!(最後だけ声))とかもガッツリ歌と被してやるものだし、歌の邪魔という論理で「家虎だけ」を除外するのは筋が通ってないように感じる。
だから恋アクで家虎してほしくない人は僕のように「気持ち悪いからやだ!」と言ってくれたほうが納得できるのだ。まあこれで肯定派を説得することは出来ないが(笑)。
ここで今回の事態の発端になったRoseliaのライブだが、「LOUDER」という曲の無音部分で家虎があったそうだ。元々この曲での家虎は問題になっていたらしいが今回のライブでも起こったことで運営側も我慢の限界みたいなとこがあったのだろう。
正直バンドリはあまり詳しくないので今回のことがあって、初めてLOUDERを聞いてみた。
確かにこれは家虎入れられると地獄だろうと思った。
LOUDERの無音部分は約2小節。ボーカルピックアップになった後バンドがオールインになる。
「ピックアップ」というのは曲中無音になったときに誰かがソロで入ってくること。この曲ではボーカルが入ってくるので「ボーカルピックアップ」となる。
こういう無音部分での家虎について苦言を呈する人もいて、過去にはfripSideの八木沼さんがMCで非難したことが話題になったりしていた。
ファン側での論争は置いといて、では演者、スタッフ側が家虎否定するのは何故か。
楽曲を作っている人は、無音を意図的に演出している。聞いている人からすればただの空白に思うかもしれないが、その間にも曲のテンポは維持され「休符」という「音符」が存在する。
僕はベースプレイヤーだが「休符をしっかり演奏しろ」ということを教えられたし、自分も人にそう教える。休符は次の音を鳴らすまでの「間」を演奏せよという記号なのだ。
そしてそこには「緊張と緩和」が生まれる。曲中に完全無音のところを作るのは次の「緩和(爆発)」にむけての最大級の「緊張」なのだ。
家虎はそこを完全に潰す行為だ。アレンジャー、プレイヤーが作り出した緊張は、決して家虎の為にある訳ではない。
本当にRoseliaが好きでLOUDERが好きであれば、ボーカルピックアップからのオールイン(緩和)を心待ちにしながら無音(緊張)を楽しむべきだ。
特にRoseliaは生演奏でライブをしている。自分たちの演奏で作り出した「緊張」なのだ。それはカラオケで歌う通常のアイドルよりも本人たちにとって更に尊い緊張なのではないかと思う。それを潰される気持ちは相当だろう。
これが大体の僕の意見だが、「そもそもライブの楽しみ方は自由だろう。暴れたりしたわけでもないから好きに楽しませてほしい。無音をどう楽しもうが自由」というような意見もあるだろう。
正直こういう気持ちも多少分かる。海外のライブなどではお客さんはそれぞれ自由に踊ったり叫んだり楽しんで、いちいちそれを咎める人はいない。という印象が強い。
それが「法的手段」というところまでいってしまう事に何か虚しさを感じる気持ちも少し、はある。
が、
やはりどれだけ家虎勢に寄り添おうとしてもこの「緊張と緩和潰し」は理解できない。
いちいち演者やスタッフが禁止を口に出すなという声もまた少しは分かるが、演者スタッフ側が楽しみ方を制限することもこれまた自由だと思う。
食べ方を指定するお店は存在するし、それが嫌なら食べに行かないという選択をすればいい。
BUMP OF CHICKENのライブDVD(だいぶ初期)を見たら演奏中客の手拍子が始まった。そしたらボーカルが演奏をやめて「学芸会じゃなから」みたいなことを言って手拍子をやめさせた。他にも手拍子を嫌がるロックバンドは多く、ファンはそれを理解してライブに行く。
ラブライブ!やバンドリ!、他アイドルのファンなど単純に客層が若いからというのはあるんだろうが、演者に対するリスペクトがない人が多いのではないか。
自分が好きに楽しみたいという気持ちがあれど、演者側からやめてくれと言われたことをやるというのは「盛り上げに来てやってる」みたいなある種上から目線の気持ちがあるんじゃないかと思う。
2年ちょっと前だったか、楠田亜衣奈さんのライブに行った時アンコール後のMCで「それぞれ色んな考えがあるだろうけど、ファン同士のいさかいとかをなくしていきたい」みたいな事を真剣に語った。
その次の曲で禁止されてる孔雀(サイリウムを扇状につなげたもの)を出した客とそれに掴みかかった客がもみ合いになった。くっすんは歌うのをやめてバンド演奏も途中で止まった。
僕はあの時のくっすんの顔が忘れられない。怒りも悲しみも通り過ぎた、呆れ果てて絶望したような顔だった。真摯なMCの直後にそうなったのだ。くっすんはどんな気持ちになっただろう。
今回のRoseliaも演奏前に静かにするようにMCで言ったらしい。そのうえで「イェッタイガー!」と叫ばれた気持ちはどうだっただろう。
演者へのリスペクトががあれば絶対にそんなことは出来ないハズだ。
家虎が好きか嫌いかはもう別問題で、「ルールとしてだめ」と言っていることを守れない人が存在して、そういう奴がファンの皮被ってライブにくる。
だから結局運営側も「法的に」とかいう言葉を出さざるを得なくなる。
そういう奴はステージ上に血の通った人間が立っているという認識がないのだろう。最早誰が立っていてもいいんじゃないかと思う。
ライブ会場が現実と地続きになっているということをしっかりと認識するべきだ。
…………もうちょい擁護しようと思ったけど、やっぱり気持ち悪いって思ってるから無理だった!!!(最終的に「奴」とか言っちゃってる(笑))
ま、恋アクの家虎に関してはRoseliaの件ほどには嫌悪感ないです。
家虎のありなしはアーティストごと、コンテンツごとに決めたらいいし、ファンはそれに従うべき。
ルール、マナーをそもそも守れていない人間が文句を言う資格はない。
という感じが、大まかな感想です。
ラブライブ!フェス 2日目感想
ラブライブ!フェス2日目。要するに最後の日。
前日の1日目、一緒にライブビューイングに行った3人でライブ終わりに僕の家に集まりフェスの感想とか音楽の話とか(ちなみに3人共ミュージシャン)ひたすらしてたら朝5時過ぎてたので流石にやべぇ!と解散。
2日目家を出る時間の結構ギリまで寝てた。1日目は18時スタートだったが2日目は16時スタート。映画館に着いたが他の2人が15時57分になっても来ない(2人は片方の家に泊まってたから移動は一緒)。
やべぇよ!もう始まるよ!電話しても出ない……。これはやばい!と思ってたらギリギリで到着。何やってたんだ?と思ったら、
「ごめん!りっぴーがYoutubeチャンネル開設してんの気付いて2人でかぶりつきで見てたら遅くなった!」
……何じゃその理由!!!!これからライブ見る人のYoutube見てて遅れそうになるって、狂ってやがる。
てことでダッシュで着席したら1分経たずに始まった。ほんと、ギリ。
2日目の注目ポイントはもちろん、「セットリストの変更はあるのか?」だ。虹とAqoursは変更点が予想できたがμ’sはどうだろう。
それもこれも1曲目で変わってくる気がする。1曲目、1曲目、1曲目。
「未体験HORIZON」
同じでしたぁ!!そこから虹へバトンタッチでTOKIMEKI披露という流れは昨日と同じでそこから残りのソロ曲へ。推しはともりるですが、曲はエマの「Evergreen」が好き。イントロからして今までのラブライブ!シリーズにはなかった雰囲気がツボでした。元々民族音楽っぽいのが好きなんですよね。
あと璃奈ちゃんボード付けてると前が見えないっての面白かったし、あれつけることによってMCの声がこもっちゃってるのも個人的ツボだった(笑)。
で、虹が終わってAqoursユニットの流れも前日と一緒。CYaRon!の夜空はなんでも知ってるの?のは斉藤朱夏ワールド全開。1stの時も間奏の踊りで魅せてたが、更にパワーアップして、もはやミュージカルのようだった。クオリティの高さったらもう。
他のユニットも格段に歌い、踊り慣れた曲でクオリティが更にあがってた。
AZALEA推しとしてはトリコリコPLEASE!!が最高だった。ダンスが好きなんだよなぁ。
ギルキス、Saint Snowは前日のように会場を盛り上げるだけ盛り上げて去っていった。
さあ、次はAqoursだ。今日は流れ分かってるから長っ!とか思わなくて済むぞ。と思ってたら、
μ’s!!!!
昨日とAqoursとμ’sの順番変えてきやがったぜ……。
とはいえ昨日見てますから、μ’s出てきても流石に泣かない。
そう、泣かなかった。”出てきたとき”はね。
結果的にμ’sのセットリストは1日目と同じだった。けど、今μ’sのライブを見ているということは、あとは、終わるしかないのだ。μ’sのライブが終わってしまう。次いつ見られるか分からないライブが。
色んな感情が常にうずまき、μ’sのライブ中ずっと泣いていた。
ただひとつ、KiRa-KiRa Sensation!の「おいでよ!」のところでくっすんを抜かなかったLVのカメラマンは、というかスイッチャー?は即刻死刑にすべき。あそこの大事さ分かってねぇ!100回連続でこの曲やっても毎回くっすん抜くべきだろう!何やってんだ!!!!
……すみません、取り乱しました。
昨日と同じくスノハレを最後にAqoursにバトンが渡る。
昨日の恋アクの部分がHAPPY PARTY TRAINに変わってたが(これは毎回そうなので予想済)、μ’sの後に出てきて「受け取ったよ次の夢を」と歌われるとエモさ感じる。
そもそも僕がAqoursで一番好きな曲はHAPPY PARTY TRAINで、推しのあいきゃん=ヨハネを1位に出来なかったことで相当ヘコんだが、曲がめちゃくちゃ良かったことと、2位とはいえしっかりソロパートいっぱいもらってて初めてアニメPV見たとき泣いたくらいだ。
この曲きっかけでYoutubeに弾いてみたの投稿を始めたこともあり、相当想い出深い。
それをμ’sのいる場所で歌っているのを見れて良かった。
最後の君ここが終わり、昨日と同じく全員登場。Tシャツをアレンジして出てきたμ’s(しかも全員違うアレンジ(笑)) に爆笑し、りっぴーを筆頭に泣いてしまうメンバーに涙させられた。
今日の締めはあんちゃん。「私達はμ’sが大好きで~」と泣きそうになりながら喋る彼女にやられっぱなしだった。初日のμ’sを見ての涙もあり、2日目は完全にあんちゃんに気持ちを乗っけて見てた。そういう人多いと思う。
このフェスの主役はやっぱり復活のμ’sだっただろう(復活のF、みたいに言うな)。けど「主人公」は伊波杏樹だったんじゃないか。ロールプレイングゲームのように伊波杏樹という主人公に自分を重ねてこのラブライブ!フェスという世界を覗く。そういう存在がステージ上にいたことはファンにとって幸運なんじゃないかと思う。
とまあ、ここまでが2日目の感想だ。
ここからはラブライブ!フェスというもの自体の感想を少し(少しになるか分からないが(笑))。
2日通してみて、最終的に言いたいのは「ありがとう」だった。本当にそれしかなかった。
でもネットで散見されるようにネガティブな意見もあるのは間違いない。正直フェスが決まった時、どういう内容になっても必ず否定的な意見を言う人が出てくるだろうとは思っててそういうのもう見たくないな、正直鬱陶しいと思ってたが実際そうなった。
主な意見としてはμ’sの曲が少ない。フェスなのに全員で歌う曲がなかったなどだ。
まあこれに関しては完全に同意するのでこれ自体がネガティブな意見とは思わないのだが、これをAqoursのせいだという人がいたりする。それはかなり辛い。
ユニットもやったAqoursの曲数が圧倒的に多かったのは間違いないが、
μ’sの曲が少ない=Aqoursの曲数が多いから
という思考に何故なるかが理解できない。スタッフでない以上100%なんてことは言えないがμ’s側の意見を聞かずに勝手に持ち時間を短く設定したなんてことのほうが現実味がないだろう。
μ’sプロデューサーの木皿さんもtwitterで「μ’sパートはμ’sで考えた」と言っている。
正直僕も全員でのSUNNY DAY SONGが聞きたかった。夏色が聞きたかった。Music STRATが聞きたかった。Wonderful Rushが聞きたかったしAngelic Angelが聞きたかった。MOMENT RINGが聞けたら最高だったし、僕たちはひとつの光で号泣したかった。
でも今のμ’sとして出来うる最高のパフォーマンスや個々人の気持ち、色んなことがある。
だからこうしてステージ上に9人揃って出てきてくれた、それだけでもう何も言えなくなってしまった。いや、上に言いたいこといっぱい書いちゃってるけどね!(笑)
フェスが終わったことによってまだANNというラジオがあるとはいえ、この1年奇跡みたいに起こり続けたμ’sとの再会(僕にとっては初めましてみたいなもん)が終わっていくんじゃないかと思っていたが、幸いなことに2月にも生放送をやったりしてくれるそうだ。
このフェスきっかけで「μ’sがμ’sとして人前に出ることのハードルが下がる」ことがこの先につながっていくんじゃないかと思う。
新プロジェクトの発表などもあり、これからもラブライブ!は続くのだろう。
スターウォーズのように、同じキャラクターや世界観を引き継ぎながら新作を作り続けるのは難しい。ラブライブ!はこれからガンダムやプリキュアの様になっていくのかも知れない。
キャラクターや世界観が全然違うラブライブ!が始まっていくのかも。それを全て好きである必要もないし、無理矢理好きでい続けなくてもいいと思う。中にはそんな続き方をするなら終わってくれる方がいい、と思う人もいるだろう。その気持ちも分かる。
僕が一番好きな映画はバック・トゥ・ザ・フューチャーだ。何度も何度も見た。
昔USJにはバック・トゥ・ザ・フューチャーザ・ライドなんてのもあったが、今はもうない。何故か。それはバック・トゥ・ザ・フューチャーが「昔の映画」だからだ。映画を見たことがある人が減っていてるからだ。
ジュラシックパークのようにバック・トゥ・ザ・フューチャーに続編が出続けていればなくならずにすんだだろう。
これは僕の意見だが、作品にとって一番嫌なことは「駄目な続編が作られること」ではない。「忘れられること」だ。
そういう意味でラブライブ!はこれから人々に忘れられることが決してないシリーズになろうとしている最中なのかもしれない。
そうすることによって更に、更にμ’sという存在が輝き続ける。
なんか言いたいことの方向がだいぶズレた気もするが、まあこれが今の正直な気持ちだ。
どんなかたちであれ、プロジェクトが続いてくれることを嬉しく、また誇らしく思うが一番最後にこれだけ言っておこう……。
新プロジェクトが「ラブライブ!Side M」ではありませんようにぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!